星は儚く闇は優しく








人間では到底真似できない速さでその場所へとたどり着いた二人は、たった今終わりを迎えたばかりの戦いの場を見て目を見張った。
手負いのヴァンパイアが三人。
その他のヴァンパイアたちも息を切らし、ところどころに傷を負っている。


そして――彼らが囲む円の中には、一人の少女が倒れ伏していた。


背中を切りつけられたのだろう、纏う服が鮮血に染め上げられている彼女は、もう虫の息に近い。
それを見た瞬間、ルウェルディアは体中の血が沸騰するような感覚に襲われた。



―― あ れ は 沙 夜 だ 。



ざわりと胸が騒ぐ。
すぐに分かった。
見間違えるはずがない。


息を整える間も惜しくて、ルウェルディアは乱暴に配下のヴァンパイアたちを押しのけ、円の中へと飛び込んだ。



「ルウェルディア様?!」
「な、何をなされるのですっ、その女はあなたの敵で……」

「うるさい! 貴様らそれ以上無駄口をたたけばその命はないと思え!! ――おい沙夜、沙夜っ!」



制止しようとする部下を振りほどき、彼女へと駆け寄る。
見れば、白い服は背中の部分がほとんど血で真っ赤になっていた。
破れた服からのぞく傷口から溢れる血は止まることを知らず、服を染め上げていく。
まるで、そこから彼女の命の残りが流れ出ていくように。



「沙夜、しっかりしろ! 死んではだめだっ!!」



激しい剣幕とは裏腹に、恐る恐る伸ばされた手が控えめに沙夜へと触れる。
その体は命を無くしたもののように冷たくなってきていた。
かすかに唇から零される吐息はいつ消えてもおかしくないほどにか細い。

視覚が、聴覚が、触覚が、沙夜を感じるすべての感覚が、彼女の死を告げている。



「セフェルスっ、どうしたらいい?! このままでは沙夜が死んでしまう……っ!!」



どんなことをしても彼女の体温がどんどん消えていくのをとめることはできなくて、後ろへ佇むセフェルスへもどかしげにそう問いかけた。
後ろの気配はしばらく何も答えない。
返事が返ってこないことに苛つくルウェルディアは、めったに呼ばないその名でセフェルスを呼んだ。



「答えろ、セフェルスロゥ・ヴィッセル!!」



闇の帝王が呼ぶヴァンパイアの本名――それは絶対服従の意味を持つ。
普段他のヴァンパイアに使うことはあってもセフェルスには一度も使ったことがなかったそれは、ルウェルディアがどれだけ必死であるかを示していた。
いま、ルウェルディアの頭の中には沙夜のことしかなかった。


だから、セフェルスがどんな顔をしてその答えを言ったのかも知らなかった――知ろうともしなかった。



「ひとつだけ、方法があります。彼女にあなたの血を流しこめば良い。血が持つ驚異的な再生能力が彼女の傷を塞ぐでしょう。そうすれば、彼女の命は助かりますよ」
「本当だな?! それで、沙夜が助かるんだなっ!!」
「ええ、本当です。ただし、彼女はこれから半女吸血鬼(ヴァムピーラ)として生きることになりますが。その意味は、あなたもお分かりで――」

「沙夜が助かるなら、なんだっていい!」



もったいぶった言い回しにじれったさを感じつつ、その言葉をさえぎる。


沙夜が助かるなら。
彼女を救うことができるのなら、どんなことだってする――。


沙夜を救う手立てを聞きだせたルウェルディアは早速自分の手首を爪で切り、沙夜を上向かせる。
ぽたぽたと手首を伝って落ちる血液は、一滴、二滴と沙夜の口の中へ落ちていく。
沙夜はなかなか嚥下しようとはせずにただその血は喉を伝っていくだけだったが、しばらくして弱々しいながらもかすかに飲み込む動作をした。


やがてその体にもう一度生気が宿り、下がる一方だった体温が戻り始める。
元の体温まで戻ったのを確認すると、ようやくそこでルウェルディアは血の流れる手を口から遠ざけた。



「沙夜、目を覚ませ。沙夜――……」



優しくそっと揺さぶると、ゆるゆると瞼を上げた沙夜が焦点の合わない目でこちらを見つめた。
まるで夢を見ていたかのようなその瞳はしばらく視線を彷徨わせてから、目の前にいる人物を認識したのか大きく見開かれる。



「どうして……あなた、が……」



そう力なくつぶやき、それだけで力を使い果たしたようにもう一度目は閉じられた。
あわててルウェルディアは胸に耳を当て、沙夜の鼓動を確かめる。
少し弱いながらも安定した脈に、彼女はただ眠っただけなのだということを理解した。



「沙夜……よかった……」



ようやくもたらされた安心に安堵の息をつき、静かに眠る沙夜の体をそっと抱きしめた。
先ほど与えた血のおかげで体の傷はほとんど治っているのは分かっていたが、それでも沙夜の無事を確かめるように指で触れて確かめていく。
まるで、大切にしていたおもちゃが壊されそうになり、すんでのところでそれを取り返した子供みたいにルウェルディアは沙夜を離そうとしない。
しばらくそのままその光景を見ていたセフェルスが見かねて声をかけるまで、ルウェルディアは彼女をずっと抱きしめたままだった。



「ルウェルディア。そろそろ時間切れです。もうすぐ日の出ですから」
「――ああ。わかっている」



セフェルスに促されるまま、ルウェルディアは重い腰を上げた。
ただし、その腕には未だ沙夜がしっかりと抱かれているままだ。
それをみて、セフェルスは苦い顔をして見咎めた。



「――連れて行くおつもりですか?」
「……いいや。安全なところへ連れて行くだけだ。すぐ戻るから、お前は先に戻っておけ」
「仰せのままに」
「それから、今回これに関わった奴らどもを始末しておけ。いいな?」
「わかりました。おまかせください」



セフェルスはルウェルディアの要求に短く返事すると、さっと目の前から姿を消した。
それに続き、ルウェルディアも沙夜を送り届けるべく走り出す。

目指すは、自分たちが最初に出会った真矢の眠る墓地。



――そこは唯一ルウェルディアと沙夜の両方が知る場所だったから。



ゆっくりと空が白み始めたのを肌で感じながら、見覚えのある墓地へと足を踏み入れる。
最近少しだけ暖かかった所為か雪はほとんど積もっておらず、目指すべきところは探さなくてもすぐに見つかった。
MAYA SHIKYO――流麗なアルファベットでそう刻まれた墓石の前に、沙夜の体をそっと持たせかける。
まだ明けぬ夜の闇の中で眠る彼女もやがて目覚めるだろう。


その場に自分はいないほうが良い。


そう判断したルウェルディアは踵を返してそこから立ち去った。







*          *          *          *          







もといた住処に一足先に戻ったセフェルスは窓辺に座り、主と同じく白み始めた空を眺めながら浮かない顔をしていた。
言われたとおりに部下たちは始末したものの、どうにも後味が悪い。
あの部下たちとセフェルスが抱く思いはそう変わらなかったからだ。


ルウェルディアに死なないで欲しい。
我が主には栄光を、それに仇為す者は永遠の眠りを――。
その思いは自分も同じ。


けれど部下たちとは違い、自分はルウェルディアの望みも知っている。
孤独な王がやっと見つけたたった一つの救いだからこそ、セフェルスは手出しすることができないのだ。



でも、さすがに今回の王の行動には驚いた。
死にかけた人間の命をとどめたいと、そう言い出すなんて。
そうしてルウェルディアはあの娘に自らの血を与えてしまった。


それは自分がそう答えたからこそ彼がとった行動だけれど。
できるなら、そんな答えは言いたくなかった。
自分の主人が死ぬ可能性を増やしたくなどなかった。



「決して死せぬ闇の帝王に、ただ一人、その死を可能にするのは彼の血を受け賜りし半女吸血鬼(ヴァムピーラ)。

 銀剣閃く明き月の夜に彼女が闇の帝王を愛すとき、帝王のたった一つの望みは叶えられる。

 彼女がもたらす、永遠の死によって――……」



それは代々闇の帝王に使える使命を負った特別な高位ヴァンパイアの血筋にのみ伝えられる伝承。


もともと半男吸血鬼(ヴァムピール)や半女吸血鬼(ヴァムピーラ)は純血のヴァンパイアを殺せる能力を持っている。
それでも闇の帝王は例外だった。
彼らでさえ闇の帝王は殺せない。
けれど闇の帝王が自らの死を望むとき、それは帝王の血を分けた者によってだけ成し遂げられるという。


本来なら、帝王がそれを望んだ時点でセフェルスはそれを彼に伝えなければならなかった。
でも、自分はそれをしなかった。


――できなかった。


親友として、忠実な部下として、彼を死なせたくなかったからだ。
いくら彼が死を望んでも、これだけは一生隠し続けるつもりでいた。
なのに、自分は答えてしまった――。
絶対服従命令をかけられ、答えざるを得なくなってしまった。



自責と後悔の念は激しく胸の中を渦巻き、どんどん大きさを増していく。
けれどそれはため息をつくことぐらいでしか外に出すことはできず、もどかしい感情が胸をかき乱す。



「……ルウェルディア……私は認めません。あなたが死ぬなんて――」



そうつぶやく声と同時に響いたのは、かすかな音。
どうやら主が帰ってきたらしい。
セフェルスは憂い顔を無理やり微笑みに変え、腰を上げる。
そうして主を迎えるべく部屋の中へと消えた。










*          *          *          *          







夜の狩人の望み、闇の帝王の望み、風の龍の望み。


いったい運命はどの望みを結末に選ぶのか。
はたまたどれも選ばないのか――。

それを知る者はおらず、ただ時だけがゆっくりと終焉に向かって刻まれていく。


抗う者も、流される者も、みな平等に向かえる終焉は如何に為る。
そのときが訪れるまで、運命さえも見ることのできない先にあるものは生か、死か。
死と向かい合わせに生きながら戦う者たちが奏でる命の歌は、運命すらも変える。


さあ、終焉を導く歌を皆で歌いましょう。

自らが望む終わりを引き寄せるために――……。









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