誰も動かない中その静寂を破ってそれを拾ったのは、意外にもイスに座って背を向けていた父だった。
ゆっくりと、まるでリリスに見せ付けるかのように拾われた赤い宝石は、そばにあった机に無造作へと放られ、澄み切った音を立てる。
真っ暗な部屋に差し込む
それを機に部屋の中で止まっていた時間が動き出した。
血の気が失せた顔で、リリスは体の力がぬけたようにその場へがくりと膝をつく。
だがそんなことには目もくれず、父は興味が失せた顔で話の終わりとリリスの退出を告げた。
「確かに……ご命令承りました、父様――いえ、現当主ロイド・サーシャ様……」
遠くでそう答える自分の声を聞きながら、リリスはふらふらと立ち上がった。
何度かよろけて部屋の中のものにぶち当たりながらも扉へと歩いていく。
ようやく扉にたどり着き、メイドによっていつの間にか開かれていた扉から出たものの、なかなか閉められない扉を怪訝に思って振り返った。
そこで後ろから近づいてくる気配に気付く。
リリスが思わず息をのんで目を凝らすと、いつの間にか椅子を立ったロイドが歩み寄ってきていた。
ロイドは扉の前で震えるリリスに冷たい一瞥をくれ、ゆっくりと目の前へと立った。
そうしてロイドはリリスを絶望のどん底へと突き落とす最後の言葉を投げかけた。
「お前がやけに懐いているルディオとセレナだが、お前が相手探しの旅に出るよう、そう提案したのはあの二人だ。
そして、お前が帰ってくるまで当主の印を預かることも。我等はそれに同意した。――ゆえにこれは一族の総意。悪く思うな」
お前が無事相手を見つけて帰って来られることを祈っている。
まったく感情の込められていないロイドのその言葉を最後に扉は目の前で閉められた。
ガチャン、と重苦しい金属のぶつかる音が空しく響く。
壁際で揺れる光はリリスの影を揺らめかせ、人影のない廊下は孤独感をいっそう大きくさせた。
そこからはもうどうやって自室へ戻ったのかも覚えていない。
すっかり憔悴しきったリリスは部屋にたどり着くなりベッドに倒れこんだ。
胸が張り裂けそうなほど痛むのに、不思議と涙は一粒だってこぼれてこなかった。
もう誰も信じられなかった。
リリスは心のどこかで慢心していたのだ。
甘えていたのかもしれない。
当主の印さえあれば、相手は見つけられなくともサーシャ家にいるぐらいはできるだろう。
父様や母様から家を追い出されても、ルディ伯父やセレナ伯母のところへ逃げ込めば、自分の居場所ぐらいはあるだろう。
そう思っていた。
けれどそれは違った。
逃げ込もうと思っていた相手、その人たちからリリスは拒絶されたのだ。
自分たちのところへ来るな、甘えるな、と。
あれだけ自分が逃げ出したかった足枷は、いとも簡単に外された。
思いもよらなかった形で、しかもサーシャ家とのつながりも一緒に外してリリスの元から去っていってしまった。
今になってその存在の大切さに気づいても、一度手から零れ落ちてしまったものはもう戻ってこない。
「わたし、馬鹿みたい、……――っ!」
はは、と乾いた笑いが漏れる。
少し考えればわかるはずだったのに、そんなこともわからなかった甘さがこの事態を招いた。
その結果、家族にも親戚にも捨てられた。もう、自分に残っているものは何もない。
そして今自分にできることは、父様に言われたとおりただ静かに明日の夜ここから立ち去ることだけ。
それがリリスに残された唯一の道だった。
考えれば考えるほど先ほどの父の言葉が次々に思い出され、張り裂けそうなくらいに胸が痛む。
もう何も考えたくなくて、胸の痛みから逃れるようにリリスはゆっくりと頭痛のし始めた頭を枕にうずめた。
気だるい体が求める眠気に身を委ね、そっと目を閉じる。
先ほど告げられた言葉など夢だったら、いっそ全部忘れてしまえたら――……そう願いながら。
決して叶わぬ願いとは、わかっていたけれど。
そうして次の夜、リリスは父の言葉どおり住み慣れた屋敷を離れて旅に出たのだった。