魔法都市ヘパティカ――そこはセルビアの誇る随一の魔法都市であり、第二の王都といっても差し支えない大きさを持つ都市である。
ヘパティカにはセルビア各地、そして大陸各地から「魔法使い」たちが集まり、修行や研究に明け暮れる。
ここに集う者たちはみな競って「魔法使い」の真髄を極め、真理を手に入れようと日々研鑽を積む者たちばかりだ。
リリスの踏み入れたその都市には、今日も多くの「魔法使い」たちに満たされていた。
門から入ってきた人たちでごった返す大通りをしばらく歩き、右へ折れるとそこにはたくさんの宿屋街が立ち並んでいる。
旅をする「魔法使い」たちが多く集まるこの都市には必須な宿屋は訪れる人の多さに比例して発展し、
今では右都の一角を中心に街と呼べるぐらいに大きくなっていた。
街はその中で宿の等級に分かれて区画を分けており、今リリスが歩いているのは中級の宿が集まる区画だった。
「ええと、確かここら辺だったはず……」
記憶を頼りにきょろきょろと宿屋の看板を確認しながら歩くリリスが探していたのは、スズランの描かれた看板だ。
サーシャ家時期当主として父とともにこの都市に立ち寄ったときにこのあたりは近づくことすら許してもらえず、泊まったのは一級宿だったために
見慣れぬ看板が立ち並ぶ宿屋からその看板を探し出すのはなかなか難しかった。
けれど根気強く探していくうち、ようやくリリスは区画のはずれにひっそりと佇む、一階に酒場が併設してある宿屋を見つけた。
表看板にはスズランの花、そしてその下に宿屋の名前「スノードロップ」が飾り文字で書かれていた。
話に聞いていたとおり探しにくい宿屋だと苦笑しつつ、リリスは酒場に足を踏み入れる。
そこは来るものを拒むように静かに佇んでいた建物の中とは思えないほど、音楽と人々の笑い声であふれていた。
陽気な人々が笑い踊りあう中を抜け、酒場兼宿屋の主人が座るカウンターへと向かうと、
どこからともなく料理のいい匂いが漂ってきていた。
「しばらくこの宿に泊まりたいのですが……」
「やあやあ可愛い娘さんだねぇ。この宿の話はどこからお聞きになったのかな?」
「……各地を旅する伯父から聞きました。ここにくれば、料理と情報は絶品だと……」
カウンターでどっしりと構える恰幅のいい主人に話しかけると、人のよさそうな笑みを浮かべた主人はにこやかに返事をくれた。
けれど心の奥まで見透かされてしまいそうな深い鳶色の瞳に見つめられ、リリスは少し緊張した面持ちで答える。
しばしの間その答えに沈黙した主人は、ややあって大きな手を差し出した。
「ほほう。それはいい伯父さんをお持ちだ。好きなだけ滞在するといい。
部屋はそこらの中級宿とそんなに変わらないが、料理と情報の質だけは保証しよう。ようこそ、わが宿スノードロップへ」
ニコニコと微笑みながらも鋭い光を瞳の中にたたえる宿屋の主人から鍵を受け取り、
この宿に泊まっても大丈夫なのだとわかってほっとしたほっとしたリリスは次に酒場のほうへと向かった。
『この宿は中級だが、料理は絶品、集まる情報の量と質はどこよりも確実、だからいつもヘパティカに来たときにはここへ泊まる』
――そう教えてくれたのは、帰ってくるたびに各地の話をたくさんしてくれるルディ伯父だった。
流浪の「魔法使い」を多く受け入れるために情報が集まりやすく、それを利用してここが宿屋と酒場のほかに情報屋を営んでいると
知る者は少ない。
そのため、宿屋の主人はまずそれを知っているかどうか確認した上で、情報を渡すに足る人物かどうかを見極めるのだと聞いた。
まだ思い出すとつらいけれど、今はそのことを教えてくれた伯父にただ純粋に感謝しながら、
リリスは料理を運ぶおばさんへと声をかける。
「おばさん、シチューとパンを一つずつください」
「はいよ。しっかり食べなよ、あんたかなり細っこいからねぇ」
「ありがとうございます……」
しばらくしてから、いつも食べるよりだいぶ多い量のシチューが運ばれてきたのをリリスは少し苦笑いをしながら受け取る。
けれど野菜がたっぷりと入れられた暖かいシチューは、まだ夜になると冷え込む初春には体を芯まで温めるのに最適だった。
リリスの座っている場所はわりと部屋の端っこのほうだったので火からは遠く、
その上でも暖かいシチューはありがたかったが、何より料理は絶品というだけあって本当においしかった。
たくさん歩いた所為もあってかシチューを無事全部食べ終えると、疲れが出てきたのだろう、かなりの眠気がリリスを襲う。
酒場で寝てしまわないようにと先ほどの主人から受け取った鍵を持って宿屋の三階へと上がった。
主人のいっていた通りに質素な作りの建物だったが、三つある部屋の真ん中の部屋へ入ると、
あまり広くはないもののこざっぱりとしたつくりをしていた。
「さぁ、早く寝なきゃ。明日はやることがいっぱいあるんだから」
あまり上等ではないベッドの中へともぐりこみながら、自分へと言い聞かせるようにリリスはそうつぶやいた。
眠気は心地よいまどろみの中へとリリスを誘う。
そうしてすぐにリリスは深い眠りの中へと落ちていった。