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四章  四つの想いは夜空に交わる 【1】



 朝の柔らかな日差しがリリスの意識を覚醒させる。重い瞼をそろそろと開けると、見慣れぬ天井が目に映った。

「ここ……は……?」

 半身だけ起こして周りを見渡すと、知らない部屋だった。ここはどこなのだろう。ふと自分をみてみると、服は昨日着ていたもののままだ。いったいいつの間に眠ったんだっけ、とまだよく働かない頭で記憶を辿ってみる。

 昨日もう一度街道に行ったら現れたのは青の妖魔だった。食われそうになった自分を助けてくれたのが、あの男だ。そのあと、あの場から逃げるために男は戦ってくれたが、リリスが足手まといな所為でぼろぼろに傷ついてしまった。戦いを止めさせるために身を差し出すと言ったリリスに、男はもう一つだけ手があると教えてくれて、それで――。

 そこまで思い出したところでリリスの頬が真っ赤に染まった。意図せず脳内で忠実に再現された感覚に鼓動が跳ね上がり、体の体温が一気に上昇する。

 男は先に覚悟しろ、何があっても驚くな、と言った。時間がないからとも、これは魔法使いの契約というより妖魔との契約に近いものだから、とも。

 仕方、なかったのだ。あの場から逃げるにはあの方法しかなかったのだ。それは十分にわかっている、けれど。

「……一応、ファーストキスだったんだからね……っ!!」

 周りに誰もいないのを確かめてから、リリスは小声で叫んでため息をつく。思い出すだけで顔から火がでそうに恥ずかしかった。忘れようとすればするほどよみがえる、あの唇の感触。リリスを強く抱く腕、耳元でささやかれた甘やかな声音。そのどれもが未だに鮮明な感覚で体の中へと刻まれている。まるで、忘れるなとでもリリスへ言いたいかのごとく自己主張するように――。

「……ああもうっ! どうしてくれるのよぅ……!」
「さっきから百面相ばかりして、いったい何をそんなに悩んでいる?」

 訳の分からない感情に翻弄される心を持て余し、リリスが苛ついてそう叫んでから間を空けず、静かな声音が部屋に響いた。予期せぬ声の乱入にあわててその方を見やると、ドアの近くで困惑顔の男と目が合う。

「ちょっ、あなたっ……いつ……ノック……っ!!」

『ちょっとあなたいつからいたの、部屋にはいるときはノックぐらいしなさいよ』と叫んだつもりの言葉は、驚きのあまりほとんど単語のままで終わる。だが男はどうやら何とか解読したらしい。慌てふためくリリスに首を傾げながらもその答えをくれた。

「ファーストキスが何たらと叫んでいたあたりから部屋の前にいたんだが、どうもおまえが何か悩んでいるようで入りづらくてな。いつまでも終わらないので呼びかけてみたんだが返事がなくて、仕方なくノックしてから入ったんだ」
「う、嘘……っ!」
「嘘じゃないが――」
「ぬ、盗み聞きするなんて酷い……っ」

 その場から消えたいくらいに恥ずかしくて、思わず目の前にあった枕に突っ伏す。この男が盗み聞きするつもりなんてなかったのはわかっていたけれど、あまりの恥ずかしさに思いもしない言葉が口から飛び出す。

(うう……穴があったら入りたい)

「あの、すまなかった。聞くつもりはなかったんだが……」
「そんなのわかってるわよぅ……」

 はぁ、と大きくため息をついて枕からひそかに上目遣いで見上げると、やっぱりそこにあったのは困り顔だった。

「あと、お前のファーストキスも奪って悪かった」
「わわ、わ、わかってるからっ、そんなこと謝らないで……!」

 忘れたかったことを素直に謝られ、リリスは再び枕に強く顔を押し付ける。

(お願いだからもうそのことに触れないで。すっごく恥ずかしい……)

「謝るのもだめなのなら……どうしたら顔を上げてくれるんだ」
「え……えと、そのっ……」
「俺はどうすればいい?」

 そんなに真面目に聞かれても困る。もともと聞かれて恥ずかしい事を言ったのは自分なので、頭を下げられる理由もない。だがとりあえず、リリスは自分が今一番望むことを言ってみた。

「お願いだからさっきのことは忘れて! すぐに全部……っ」
「わかった、忘れる。忘れるから、顔を上げてくれ」

 そんな願いにも、男は素直に頷く。あまりにも一生懸命な声をきくうちに、なんだか笑いがこみ上げてきた。そうしてしばらく笑っているうちに恥ずかしさも消え、ようやくリリスが枕から顔を上げることができた。

(そんなに謝らなくても、大丈夫なのに。戦っているときはこんな風な人に見えないのに、変な人……)

「ようやく顔を上げたな。よかった」
「気にしないで。あなたの所為……だけどあなたが悪いんじゃないから」

 なんだか男に悪いことをした気分になりながら、まだばつの悪そうな顔をする男にリリスは笑いかけた。






  


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