四章  四つの想いは夜空に交わる 【8】




薄暗く湿った洞穴に、若い男が一人いた。

全身傷だらけで血を流し、呻きながら憎々しげに一点を見つめる男は、長い銀色の髪を煩わしげに後ろへはらって座り込む。

夜空の色をした瞳はその色とは裏腹に、静かに怒りの炎をたたえていた。

「小賢しい奴よ……あの出来損ないの弟にしてやられるとは何たる不覚……!」

ぎりっ、と噛み締めた歯の隙間から零れ出る恨み言は、暗闇の中へと消えていく。

もう少しであの極上の魔力が手に入ると思ったのに。

あっさりと横から掻っ攫われる形で瀕死の弟に持っていかれるとは思いもしなかった。

思い出すだけでも腹が煮えくり返りそうなくらい怒りがこみ上げてくる。

自分によく似た、出来損ないの弟。

妖魔の血が入っているのに人間と馴れ合う、甘ったれた弟だ。

カイヤはあの弟が昔から嫌いだった。

双子であるためにどこまでも自分に似ている弟を見ていると、まるで自分の醜いところばかりを見せつけられているようでいやだったのだ。

けれど、いつだって自分はあの弟より優れていたし、負けたことなど一度もなかった。

自分に戦いを挑んでは負けて自分に生かされる弟を見るときの優越感だけが、何よりの喜びだった。

殺そうと思えば、チャンスはいくらでもあったが、殺さないでおいたのはひとえにその優越感が手放せなかったからだ。

それに、妖魔の血が色濃く出ているせいで気性も妖魔に近い自分にも、多少ながら肉親の情というものはある。

母親はとっくの昔に死んでしまったし、父親はその魔力を自分のものにするために殺して喰らった。

だから、肉親はもう弟だけしかいない。

過去にも何度か戦いを挑まれたりしたことはあったが、いつだって圧倒的に自分が優れていたから、殺そうとも思わなかった。

けれど今回は違う。

かなりの深手を負わされた上に狙った獲物を横取りされたのだ。

自分より格下だと思っていた、あの弟に。

しかも妖魔の契約――仮契約ではあったが――までして、セレスは完全に自分へ喧嘩を売った。

それはカイヤにとって、初めて受けた信じられないほどの屈辱以外にはありえなかった。

「許さぬ……許さぬぞ、弟よ!」

洞穴の入り口からかすかにだけ見える、遠く離れたヘパティカの明かりに向かって、カイヤが吼えた。

この傷が癒えたら、絶対に殺してやる。

そして、あの極上の魔力を喰らうのだ。

それしか、この怒りをおさめる方法は思いつかなかった。

思いっきり残虐な方法でセレスを殺して、それからあの女を楽しもう。

動けないぐらいにセレスを痛めつけておいてから、セレスに見せつけるように先に女を喰らってしまうのもいい。

あいつは、死ぬほど悔しがるだろうから。

くく、とその考えに笑いが漏れる。

そうして男はゆっくりと立ち上がった。

体を癒すには魔力を喰らうのが一番いい。

どこかの街道で適当に何人か襲えば体はすぐに癒える。

傷が癒えたら、真っ先にあの女を捕まえよう。

そうすれば、セレスをおびき寄せることは簡単だろうから。

どうせ妖魔の仮契約は一度きり。

セレスのことだから、あの女を巻き込むのを嫌って本契約はまだ交わしていないだろうし、交わそうとはしないはずだ。

そうなれば、魔力で勝るカイヤがセレスを殺すのは簡単なことだった。

「待っていろよ、我が弟……われが感じた屈辱、たっぷりお前にも味わわせてやろう……」

くつくつ、と笑う声が洞窟に響く。

もはや澄んだ色をなくして濁り、狂気を宿した夜空色の瞳はいつまでも響く笑い声とともにヘパティカのほうを見据えていた。





それは長い宴の始まりを導くもの。

それぞれの望みを抱く四人の願いが交わるとき、静かに宴は幕を開ける――。






  


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