四章  日没は宴の始まりを告げる 【6】




「“青の妖魔”兄弟に遭って魔力を食われなかったうえに、弟のほうに二度も命を助けられたですって?! ……信じられないわ」

「あの弟妖魔が、ね……まぁ少なくとも兄がしたというよりは信じられるかな」

リリスの話を聞き終えた二人はそう言ったきり、黙ってしまった。

相当衝撃が大きかったのか、難しい顔をしたまま考え込んでしまう。

ややあって、先に口を開いたのは先ほどネリエより冷静な分析をしていたシャンディだった。

「君は弟の本名を聞いたんだよね?」

「ええ。ちゃんと聞いたわよ。名前の由来も教えてもらったから間違いないと思うわ。ついでにお兄さんのほうも教えてもらったし」

「そこまで話したのか……」

問いかけたシャンディがさらに驚いた顔で呟く。

ネリエもその答えに同じような表情をして言葉をなくしていた。

どうしてそんなに驚くのか、リリスにはさっぱりわからない。

答えを求めるように二人の顔を交互に見ると、しばらくして真剣な顔でネリエがリリスのほうを向いた。

「あのね、妖魔が本名の意味をあかすのは特別なことなの」

「特別……?」

「そう。名前の意味を理解するということは、その妖魔の魂を手に入れるのと同じなのよ」

「魂……それって……」

名前の意味をあかして魂を渡す──それに似た儀式をリリスはよく知っている。

けれどそれは普通人間同士の間でするものだ。

リリスがどうしても手に入れられなかったもの──「魔法使い」の契約。

「人間の場合なら真名をあかして契約を結ぶでしょう? 妖魔は契約者に名前の意味をあかすのよ」

「契約……でも私は……」

「したでしょう? 仮契約。妖魔との仮契約の場合は名前をあかさなくてもいいの。ただし出来るのは一度限りよ」

「二回以上できないの?」

「出来ないわ。もっとも──条件がそろえば別だけど」

「条件?」

「互いの名前を知っていること。
妖魔は名前の意味を、人間は真名をあかしていること。
一度目の仮契約を済ませていること。
この三つがそろった上でもう一度仮契約行為を行えば、それは本契約を結んだことになるの」

「本契約……」

そこまで聞いて、リリスは二人が驚いた意味をやっと理解した。

もうほとんど本契約の条件はそろっている。

あとはリリスが真名をあかせば条件はすべてそろう。

セレスは──どんな思いで自分に名前の意味を話したのだろうか。

もし、ほんの少しでもリリスが彼の傍に残るチャンスをくれていたのだとしたら。

それはただのうぬぼれかも知れないけれど、それでも。

「セレス……」

思わずそう呟いてぎゅっと拳を握りしめた。

彼にもう一度逢いたい。

顔を見て声を聞いて、話したい。

彼を──死なせたくない。

「セレスを救いたいの。伯父様と伯母様にセレスが退治られるなんて嫌。私、どうしたらいいの……?」

「リリス……」

泣きそうな顔で二人を見上げると、リリスを見つめる二人も同様の表情をしていた。

二人はきっと自分の想いをわかってくれている。

だからこそ、その方法がわからないのだ。

その場に重い沈黙が落ちる。

リリスはただ唇を噛みしめることしかできなくて、零れそうになる涙を必死にとどめていた。

お願い――どうか、あの人を救う方法を教えて。

なんでもいい、どんなことだってする。

それが、リリスにできることならば。

いったいどれほど重苦しい空気が続いただろう。

永遠にも感じる沈黙を破ったのは、何か決意したような目をしたシャンディだった。

「リリス、僕たちは君の力になりたい。でも方法がわからないんだ。だから、君をある人のところへ連れて行く」

「シャンディ、まさか──だめよ! やめて……!!」

「それしか思いつかないんだ。それにこの話ならその人も動いてくれるかもしれない」

「でも……っ!!」

ネリエはシャンディの言い出したことを理解しているらしい。

反対にリリスにはなんのことかわからないものの、並々ならぬ彼女の口振りから、何か危険な賭けであることは理解できた。

それでも少しでも可能性があるのなら、リリスの答えは一つしかなかった。

「シャンディ、私をその人のところに連れて行って」

「いいんだね? ネリエの様子から分かっただろうけど、危険な賭けだよ」

「そうよリリス、あなた──」

「ありがとう、ネリエ。心配してくれているのでしょう? でもいいの。私は少しでも可能性があるならそれにすがりたい。だからシャンディを信じるわ」

思わずのばされたらしいネリエの両手をとって、リリスはぎゅっと握りしめた。

直に伝わってくる手の震えから、どれだけ彼女が自分を心配してくれているのかがわかる。

それでもリリスは後に引けなかった。

もう決めたのだ。

彼を救えるなら何でもする、と。

傍に居られなくてもいい。

彼が人間ではなく半妖魔であっても関係ない。

ただ彼に生きていてほしいと思った。

たとえそれが大好きな伯父と伯母と敵対することになったとしても、リリスはセレスを選ぶ。

そうした決意の中でようやく気づいた。

リリスがセレスに抱く気持ちの名前──初めて知る、その感情を。

「私──セレスのことが好き…………好きなの……っ」

溢れる感情を抑えられないでぼろぼろと涙を零すリリスを、ネリエがそっと抱きしめた。

やがてつられて泣き出してしまったネリエを、ごめんなさいとありがとうをこめてリリスも抱きしめる。

しまいに泣き笑いみたいになって顔を見合わせた二人の背中を優しくとんとんとたたいてくれたのはシャンディだった。

見れば、彼の目もかすかに涙で濡れている。

学生時代の頃はリリスとネリエが泣いていればいつも好きなだけなけばいいよ、と彼はいつもこうやって泣き止むまで傍にいてくれた。

いつまでも変わらず力になってくれる友人に、リリスは今一度深く感謝をした。


そうして、二人の好意に甘えて泣けるだけ泣いてしまおうと、目を閉じたのだった。






  


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