四章 日没は宴の始まりを告げる 【11】
「……やはりファミリーネームを名乗らなくても分かる人には分かってしまうのですね。私はそんなに似ていますか?」
名前を言い当てられた瞬間、リリスは全てを見透かされていると悟った。
それはある程度覚悟していたことで、さして驚きもしなかった。
王宮のお偉いさんだということだったから、いつどこで自分を見ていてもおかしくない。
リリスはこの目の前のおちゃらけた人物が只者でないことを悟っていた。
少し息を吸い、自分を落ち着ける。
そこで生まれたわずかな余裕は彼女のまとう雰囲気をがらりと変えた。
そうしてあわてることなく落ち着き払って答えたリリスの態度は、傍らの二人を驚かせた。
先ほどまでは、傍らの二人に補佐をしてもらわなければならないほど頼りなく見えた少女の変貌に、アルはにやりと笑みを浮かべる。
「おう、似ているとも。その瞳の強さ――お嬢さんの親父にな」
「……伯父ではなく、父に、ですか……?」
「そうだ。それこそが当主たるものの資質を持つ証。ロイドそっくりの良い目をしている」
思っても見なかった返答にリリスは目を丸くした。
伯父に似ているとは言われても、父に似ているといわれたことは今まで一度だってなかった。
目の色だって違う。
けれどこの男が言っているのは容姿のことではないということだけは理解できた。
きっと、さきほどの口ぶりからするとリリスがどの妖魔に関して何の問題を持ち込んだのかもおおよそ理解したうえで、話を聞かせろといったのだろう。
最低限の情報だけで最大限状況を掴むなど――並大抵の人間のできる業ではない。
凄いと感嘆すると同時に恐ろしくも思った。
けれど、そこまで理解しているのならこちらとしても話は早い。
「話を聞いてくれるといいましたよね、アル……さん。では、単刀直入に言います。私にセレス――“青の妖魔”の兄弟の弟のほうです――を護る方法を教えてください」
「……ほう? それはまた、無理難題を持ち込んできたな。しかも、助けてください、ではなく護る方法を教えてください、ときたもんだ。こりゃおもしれぇ」
面白がるように大笑いするアルに対し、リリスが少しばかりむっとした表情に変わる。
だがそんなことはお構いなしにアルは言葉を続けた。
「お前にできることなんざ、ほとんど何もねぇってことは分かってんだろ。なのになんで方法だけを問うんだ? 助けてくださいーって泣きつきゃ楽だし確実だろうが。
俺は自己紹介でも言ったろ、王宮のお偉いさんだぜ?」
「それじゃだめなの。今回取り止めになってもまた何処か別の機会にまた同じようなことが起きる。だから今、私は自分の力であの人を助ける。
そうじゃなきゃ――……意味がないの」
「意味? ンなモン、万が一奴が死んじまったらなんも意味をなさねぇんだぞ。それでもいいのか?」
どんどんアルの表情も厳しく、険しいものになっていく。
それでもリリスは決して引きさがらなかった。
あの人を助けたい、あの人を救いたい――そう強く願うから。
初めて自分の命をかけてさえ、護りたいと思えた人だから。
そのためなら、私にできることはどんなことだってしてみせると決めた。
リリスは強い意志を秘めた瞳でアルを見返し、決意の固い声で言い放った。
半ば、自分に言い聞かせるように。
「絶対に死なせない。そのために私はここへきたのよ。でも、それは貴方の知恵を借りるためであって力を借りに来たのではないわ」
「生意気な口を利きやがる。自分がどれほど無力なのか分かっていってんのか」
「分かっているわ、そのくらい。でも、私が助けたいの――私がやらなきゃだめなの」
「その思い上がった考えはいったいどこから出てきやがるんだ。え? 身の程知らずのお嬢ちゃんよぉ」
リリスへと注がれる、見下すような視線。
それでもかまわなかった。
あの人を救う手立てを見つけることができるなら。
人と妖魔の間で苦しむ彼を、その苦しみから連れ出してあげられるなら。
私はどうなったっていい。
彼を救う――そう決めたときに覚悟した。
「思い上がっているってことも、身の程をわきまえてないってことも、これが私の我侭だってことも、とんでもない無理を言っているってことも、
全部分かっているわ。でも、私はあの人に心を開いて欲しいの。もう苦しまないで欲しいの。だからもし、私が彼を救えるのなら、彼の力になれるなら――」
「……たとえお前が死ぬかもしれなくても、か?」
心の中を全て見透かしたような質問に、声を出さずただ深く頷く。
その言葉に傍らの二人は息をのんだ。
けれどリリスが浮かべた決意の表情は変わらない。
そしてそれがリリスの決意を全て物語っていた。
アルはその返答にしばし沈黙していた。
リリスの決意の程を吟味するようにじっと見つめ、その視線を彼女は真正面から受け止める。
無言の問答がいったいどれほど続いただろうか。
やがて目をそらして首を振り、破顔したのはアルのほうだった。
「合格だ、リリス。助けてください、って泣きついてくるようならお帰りください、ってたたき出すつもりだったけどよ、お前はそうしなかった。
だから俺の力が及ぶ限り、全力で力になってやる」
ずいっ、といきなり目の前に出された大きな手に、リリスはしばしの間固まった。
目の前の男の笑顔に今までの緊張が解け、力が抜ける。
思考停止した頭をたたき起こしてようやく握手すればいいのだと思いついたとき、傍らの友人二人の顔はとっくに呆れ顔へ変わっていた。
「リリス、握手だよ握手」
「馬鹿シャンディ……やっぱり気に入られちゃったじゃないのよ……」
ほら早く、と突っつくシャンディと恨めしげにシャンディをにらむネリエのささやきに戸惑いつつ、リリスはアルの差し出した手に自分に手を重ねる。
握るまもなくがしっと握りかえされ、少し痛くて顔をしかめるリリスにはお構いなしに手をぶんぶん振り、アルとリリスはしっかりと握手を交わした。
そうしていささか長めの握手を交わしたあと、アルの手は傍ら二人の頭へと伸ばされた。
いったい何をするのかとリリスが息をのむ中――。
「うわわ、わわ……っ、やめてください、アル……!」
「ちょっとなにすんのよ、やめなさいってば……っ!!」
わしゃわしゃとかぐしゃぐしゃ、という擬音が聞こえそうなくらいに勢いよく頭を撫で回され――いや、引っかき回された二人は悲鳴を上げた。
困った顔をするシャンディと本気で怒るネリエに、リリスは思わす苦笑してしまう。
「てめぇら、でかした! へパティカに呼び出されたはいいけどもう退屈しっぱなしでよぉ。
久々に“白蟷螂(はくとうろう)の魔法使い”の腕が鳴るってモンだぜ……!」
豪快に笑うアルの手を必死でどけながら怒るネリエと成すがままにされるシャンディを見ながら、リリスはゆるゆると目を閉じる。
待っていて、セレス。必ず、貴方を助けに行くから。
そうして窓のカーテンからかすかにのぞく夜闇に向けてつぶやかれた言葉は、誰に聞かれることなくゆっくりと溶けて消えたのだった。