四章  日没は宴の始まりを告げる 【12】




その晩、ふらりと現れた男の姿に、セレスは露骨に顔をしかめた。

「何の用でここに来た」

包み隠さず放たれた殺気が空気を震わせる。

ちりちりと肌に突き刺さすような殺気にもまったく顔色一つ変えることなく近づいてくる男に、舌打ちとともに吐き捨てた。

「失せろ、お前の顔など見たくもない」

「ずいぶんとまぁご挨拶なことだねぇ。貴方の身を案じて来てあげたというのに」

「お前に心配されるような覚えは無い。そしてお前は俺を心配などしない。その減らず口、どうにかして塞いでやろうか」

セレスが放つ殺気がさらに増す。

びりびりと震える空気にそれでもひるむ様子の無い男は、飄々とした笑顔を浮かべながらセレスの悪態をさらりとかわした。

「おやおや、いったい何を怒っているのかな? ちょっとした世間話をしに来たんだよ」

「興味ない。さっさと失せろ。迷惑だ」

「まったく、口の減らない……まぁいい、聞いておきなよ、面白い話だから。一応貴方にも関係のある話だしね。 とうとう王宮が動いたらしいんだ。目的は“青の妖魔”討伐――作戦は三日後に決行予定だってさ」

さして求めてもいない情報に、セレスは馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。

そうして聞き流すついでにその世間話じみたものに乗ってやろうとやる気無く問いかけを返す。

「ご苦労なことだ。おびき寄せる餌は魔石か、下級妖魔の類か?」

「いつもならそうだろうね。でも、今回だけは違うんだ。餌は、人間だよ」

「人間――……“魔法使い”ではない、ただの人間が餌なのか?」

ほんわずかだけ、セレスの興味が話のほうへと向けられた。

妖魔討伐は大体討伐対象をおびき寄せるため、餌を用意する。

それは妖魔が惹かれる魔石だったり下級妖魔だったりするのだが、人間が餌になることはめったに無い。

それは餌の安全を護ることが極めて難しく、捨て駒として使ってもいいようなものだけを餌とするのが普通だからだ。

けれど今回は人間を餌にするという――だから、少しだけ興味が引かれた。

「そうだよ。今回の討伐対象は人間に魔力にしか興味はない。だから、人間を使うしかないんだ」

「なるほど。どうせ罪人の類を使うのだろう?」

「貴方もそう思うだろう。ところが今回はそうじゃないのさ。妖魔がある少女を欲していることを王宮はつい最近掴んでね。少女に協力を依頼することに――」

ガタン、と大きな音が部屋に響く。

思わず椅子を蹴立てて立ち上がったセレスは、蒼白になって食い入るように男を見つめた。

カイヤが執着する少女――それは、まさか。

「リリスを……餌に、するのか……?!」

あってはならない可能性を必死に頭の中で打ち消しながら、そうでないことを祈ってセレスは叫んだ。

けれどそれは次の言葉で一瞬にして打ち砕かれる。

「貴方の言うとおり――餌になるのは彼女さ。彼女も危険性を理解したうえで快諾してくれたそうだ」

「嘘だ! リリスがそんなことを承知するわけないだろう!!」

「さぁ、どうだろうね。これは僕の友人に聞いた話だから。信じるも信じないもあなたの勝手だ。でも、彼女は危ない目にあうかもしれないね」

「……っ!!」

ぎりぎりと、爪が掌へ食い込む。

目の前の男を今すぐ切り裂いてやりたい衝動に駆られるのを必至で押さえながら、一歩、二歩と間合いを詰めた。

王宮が掴んだ情報の源は、間違いなくこの男だ。

そうでもしなければ、ぼんくらの集まりの“王宮付き魔法使い”たちがこんな情報を知るはずがない。

やがて手の届くところまでセレスが近づいても、やはり男は微動だにしなかった。

その余裕に猛烈な苛立ちを感じながら、男の襟元へ手を伸ばし、掴みあげた。

「教えろ! どこであいつをおびき出すんだ?!」

「セルディティエ草原E‐456、S‐852地点だよ。そうだね――ちょうど、貴方とリリスが再会した、レシティア街道に面するところさ」

「時間は!!」

「日没と同時に作戦開始らしいね。それ以上は知らないよ」

「――……っ!!」

知りたい情報を男が吐くと、ようやくセレスはその手を離した。

それと同時に勢いよく壁にたたきつけても、男が浮かべる微笑は崩れない。

だがいつまでもここにいるとさすがに命の危険があると察したのか、男はゆっくり踵を返し、ドアのほうへと歩みを進めた。

「それじゃ話したい事も話せたし、僕は帰るよ。じゃ、しっかりお姫様を護ってあげなよね、騎士(ナイト)気取りの半妖魔サマ――……」

最後まではらわたの煮えくり返るような台詞を残し、男は去っていった。

そのむかつく気配が完全に消えたのを確認してから、セレスは力が抜けたように寝台へ座り込こむ。

「リリス……!!」

ぎゅっとこぶしを握り締め、寝台の縁を叩いた。

それでも覚めやらぬ怒りは収まらず、セレスの感情をかき乱していく。

自分に関わらせないようにすることが、彼女にとって幸せだと思った。

自分の近くにいないほうが、彼女は安全だろうと思った。

けれどその結果、逆に彼女を危ない目に合わせようとしている――自分の浅はかさと考えのなさに、セレスの怒りはさらに増す。

どうして、彼女を離してしまったのだろう。

なぜ、自分の傍において全てのものから護ろうとしなかったのだろう。

彼女が離れていけばいくほど、セレスが彼女を護ってやることはできなくなってしまうのに。

えもいわれぬ深い後悔が、さらに感情をごちゃ混ぜにかき回していく。

自分は一体どうしたらいいのか。どうすれば、彼女を護ることができるのか。

答えはひとつしかなかった。

自分の手で彼女を護る――それしか、セレスに残されている選択肢はなかったのだから。





セレスの泊まる宿から出てきた男は、自分の家への帰路をゆっくり歩き始めた。

先ほどと変わらぬ微笑を浮かべる男の口元には、かすかな勝利の笑みが浮かんでいる。

「あんなに簡単に騙されてしまうとは――容易いものだな。以前の貴方なら、決して騙されはしなかっただろうに」

嘲りとも哀れみともつかぬ声音でつぶやかれた言葉は、ほかの誰に聞かれることなく夜闇に消えていく。

先ほどセレスに話したことの半分は嘘だった。

本当なのは、“王宮付き魔法使い”がセルディティア草原に“青の妖魔”を討伐に来ることだけだ。

ある意味では他の部分も間違ってはいない。

リリスを餌にし、“青の妖魔”をおびき寄せようとしているのは本当だ。

ただし、リリスは餌になることを承知してなどいない。

また餌になることも知らない。

嘘の情報を彼女のほうへと流し、草原へ来るようにさせるのは男――ランディの役目だった。

全てはたった一つの願いを成就させること――そのために裏で情報を操り、意のままの状況を作り出せるように仕向けていたのだ。

三日後、全てがうまくいけば、その願いは果たされる。

そのためにはリリスが青の妖魔に殺されようが、友人を裏切ることになろうが関係なかった。

「もうすぐだ……もうすぐで、我が悲願が叶う……やっと、貴女を攫い、妖魔の子供を生ませた挙句貴女を殺した男の子供たちへ復讐が果たせる……!」

ランディの高笑いが深い闇の中に響く。

その声音は、もはや狂気に犯され始めていた。

そうしていつまでも高笑いを続ける男の姿は、やがて町並みの奥へと消えていったのだった。






  


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