六章 紅き饗宴は藍天の下で踊る 【2】
「おやおやいけないお嬢さんだね。私を呼んだかい?」
「どう……して……?」
突きつけられた事実をまだ信じたくはなくて、ただどうしてなのかと問うことしかできない。
そんなリリスをあざ笑うかのように笑みをうかべるランディは部屋の中へ入り、そのまま近づいてきた。
まるで獲物を追い詰める獣のように、ゆっくりと、しかし確実に足は踏み出される。
いやだ――怖い。
底知れぬ恐怖がじわじわと手足を支配する。
逃げ出したいと、逃げなければいけないと思ったのに、意思に反して体はまったく動いてくれなかった。
「やっぱりランディの姪だ。体に備わっている魔法耐性も化け物級だとはね、いやはや驚いたよ」
「……何のために、私を捕まえたの……?」
「君もわかっているくせに。私たちの目的が何なのかぐらいはアルライディスから聞かされているだろう?」
じりっ、とまた距離を詰められて、リリスは思わずふらりと後ろへ後退する。
けれどすぐにベッドのふちへと足が当たり、それ以上さがれなくなってしまった。
「アル……ライディス……、アルさん、のこと……?」
「そうだよ、君が元ご学友たちと仲良く尋ねて行った花街にずっと居座ってる元魔法使い。
まぁ正直、魔法使いなんて言葉あんな男には使いたくもないけどね」
「――……っ!」
まるで汚いものか何かであるように顔をゆがめて吐き捨てたランディに、ただリリスは畏怖するしかなかった。
この人はリリスの知るランディとは全然違う人だ。
そう思いたくなるほど、以前のランディからは考えられないような言葉や表情が彼を形作っていた。
「わからないなら答えてあげようか? なに、難しいことじゃないよ。ただちょっとある人をおびき寄せてもらうだけだから。
痛いことや怖いことは何にもしないし、万が一襲われそうになったときは王宮付き魔法使いたちが君を助けてくれる――」
「……そ……」
「何か、言った?」
「……嘘、よ……っ」
すらすらとよどみなく紡ぎだされる嘘ばかりの心地よい言葉を、リリスは勇気を振りしぼって遮った。
予想していない反抗に驚いたのか、ランディは少しばかりの間なにも言わない。
その間に、リリスはさらに声を張り上げた。
「アルやシャンディたちに聞いたもの……! おびき寄せるためのえさは普通下位の妖魔とかを使うんだって。
その理由はあまりにも危険すぎるからだって……!!」
「――おやおや、悪い入れ知恵までされているのかい。いけない子だね」
「私はあなたよりもシャンディを信じるわ! 親友を裏切るあなたと違って――んぅっ!」
「黙れ、小娘!」
吼えるような一喝とともにリリスの言葉を遮るように口をふさいだのは、ランディの大きな手だった。
顔の下半分をぎりぎりと鷲づかみにされて、そのままベッドへ押し倒される。
声の出ない恐怖と息が自由にできない苦しさにリリスはただ涙を浮かべることしかできない。
真上から見下ろしてくる二つの瞳は余りに冷え切っていて、自分など簡単に殺されてしまいそうだと、
酸素が足りなくてぼうっとし始めた頭のどこかで考えた。
「それ以上無駄口をたたけば、望みどおり気を失ったまま連れて行って妖魔の餌にしてやる。
それがいやならそんな口は二度と利くな。わかったか?」
「ぅ、んん……っ」
明らかな殺意を向けられ、リリスは精一杯と頷いた。
その動作に抵抗の意思はもはやないと読み取ったらしく、ランディはゆっくりとその手をはずした。
圧迫から開放され、新鮮な空気がリリスの肺に流れ込む。
同時に激しい咳が襲ってきて、涙で視界がゆがんだ。
「げほ、げほ……っ、かは、ぁ……っく、」
「これに懲りたら抵抗しないことだね。それから、悪い子にはお仕置きだよ」
リリスが咳き込んでいるのには目もくれず、相変わらずの笑みを顔に貼り付けたまま右の手首をつかまれる。
ひ、と反射的に息を呑むと、どこからか取り出された細い銀の腕輪をはめられた。
とたん、全身を息苦しさが襲う。
「……ぅぐ、ぁあ……っ」
「魔力を封じられる気分はどうだい? 周りの空気が薄くなったみたいに今はちょっと苦しいかもしれないけど、夕方までの辛抱だ。
君を助けに来ようと探してる騎士(ナイト)さんたちに君の居場所を知られないようにするためだから、
少しの間我慢してるんだよ」
「私……を、さが、してる……?」
「アルライディスに君の元学友さんたち、それに――君が一番待っている人、だね」
くっくっく、と喉を鳴らしてランディは笑う。
まさか、でもそんなはずは、と顔を上げたリリスは手首ごと乱暴に引き寄せられて、耳元でそっと言葉を落とされる。
「セレスは君の為に必死だよ? 今だって血眼で君を探しているし、罠だと知っていても君を助けたい一心で草原へ来るんだ。
兄と同時に自分も狩られる対象なのにね。まぁ彼はそれを知らないけど」
「あなた……どこまで、卑怯な人なの……?!」
「何とでも言うがいいさ。私は私の願いをかなえるために君たちを利用する――ただそれだけの事。
そのために誰がどう犠牲になったって、そんな事は知らないよ」
「そんな――……!!」
あっさりと非道い言葉を告げられて、リリスは反論さえできなくなった。
本当に、そんな事はどうでもいいと思っているような口調や表情だったからだ。
誰もかもがこの人の手の中で踊らされている操り人形のようで、そこから逃げ出そうとしても糸を手繰り寄せられるだけで
元に戻らされてしまう、そんな絶望的な気分だった。
「さぁリリス、もう一回お休みの時間だよ。私がいいと言うまで大人しくベッドで眠っておいで」
まるでリリスの眠気でも誘うかのようにゆらりと目の前に手がかざされる。
それと同時に眠気の波がどっと押し寄せてきた。
眠ってはだめだ、まだやることがいっぱいある。
そうおもうのに、まるで催眠術にかけられたように眠気には抗えない。
やがて抵抗の意思もむなしく、リリスはぐったりとランディの手に体を預け、深い眠りに落ちていったのだった。