六章  紅き饗宴は藍天の下で踊る 【5】




突然びりびりと空気が震えるくらいに膨れ上がってあたりに満ちた魔力に、セレスははじかれるようにして草原のほうへ振り返った。

――この魔力は。

間違えるはずもない、紛れもなくセレスが探していた少女の持つ魔力だ。

ふと視線を上げると、赤く燃える太陽は空の端へと沈みつつある。

ランディは日没にと告げたからまだわずかだけ余裕は残っていると思っていたが、そういうわけでもなかったらしい。

できれば、こうなる前に彼女をランディの手から救い出したかった。

そのためにずっと必死で街中を探していたのに、それをあざ笑うかのように草原のほうから押し寄せるリリスの魔力が空気を変えていく。

通常ならありえない大きさの魔力に当てられたのか、通行人で倒れるものもいくらか出始めた。

この様子からいくと都市の半数の人間は倒れてしまうだろう。

リリスの魔力は経験をつんだ魔法使いたちでさえ扱いきれるものではなく、まして素養のない一般人ならばひとたまりもないはずだ。

それでも先ほどまではかけらも感じなかったリリスの魔力が感知できるのはありがたい。

厳重に魔力が漏れでないよう――事前にセレスにリリスを奪還されることを恐れてランディが講じた策だろうが――封印されていたため、 セレスはしらみつぶしに町を探し回ることしかできなかった。

罠に自ら掛かりに行くのは明らかだったが、リリスを救うためならば迷い無くそこへ足を運ぶ。

身を翻して通りを突っ切り、草原を目指して走る。

一刻も早くリリスを助け出さなければ、必ず奴は現れる。

兄が目の前にぶら下げられたえさをみすみす見逃すほど鈍重な妖魔でないことは、セレスもよくわかっていた。

現に、大きすぎるリリスの魔力に混じってわずかだが兄の魔力の気配も流れてきている。

まだリリスの元にはたどり着いていないようだが、それも時間の問題だった。

早く、早く行かなければ――心ばかり急いて体が追いつかないのがもどかしい。

人気の無い道を選びながら風のようにセレスは駆ける。

後もう少しだ。

門を抜ければ人目につく心配が無くなり、妖魔の力を存分に出して走ることができる。

だがようやく南門までたどり着いたというとき、セレスの前に突然立ちふさがったのは二人の少年少女だった。

「邪魔だ、攻撃されたくなければそこをよけろ。俺は急いでいるんだ!」

「お前に用があって追いかけてきたんだ。青の妖魔の弟――だろう?」

「今は名乗っている暇など無い。どけ!」

魔法使いらしき二人に行く手を邪魔されて、苛立ちながらセレスは怒鳴る。

だがそれにひるむことなく二人は予期せぬ言葉を口にした。

「あなた、リリスを助けに行くんでしょ? だったら私たちも連れて行って」

「……なんだと?」

「私たちはリリスの友達よ。さらわれてしまったあの子を助けに行きたいの。あなただってそうでしょう?  私たちは魔法使いだから、あなたが単身で乗り込むよりはましだと思うわ」

「勝手に行けばいいだろう。俺は先に行かせてもらう。足手まといはいらない」

早く行かせてくれと苛立つ感情を言葉に乗せて吐き捨てる。

こんな子供たちに手間取っている暇は無いのだ。

「足手まといにはならないわ。相応の働きはするつもりよ。その代わり、私たちを運んで。 普通に走って行ってたんじゃ到底間に合わないの。あなたなら妖魔の姿へに転身すれば私たち二人ぐらい楽に運べるでしょう」

「なぜそんなことまでわかる?」

「伊達に妖魔がわんさかいる研究所に勤めてないわよ! さあ早く、時間がなくなってしまうわ!」

「言われずともわかっている。――いいだろう、乗れ」

二人の言葉に根負けしたセレスは体の奥底に封じ込めていた力を解き放つ。

めきめきという音を立てて背中に現れたのは、こうもりを思い出させる黒い翼だった。

二人はそんなセレスの姿に別段驚く様子も無く、すぐセレスの言葉に従って背中へとよじ登る。

二人が背中に捕まった感触を確かめてから、ばさりと大きく翼を揺らす。

渦巻く風が翼を包んだかと思うと、勢いよくセレスは空へ飛び上がった。

びゅうびゅうと耳元でうなる風を突っ切り、二人を振り落とさないようにしながら出せる限りのスピードで空を飛んでいくと、 程なく眼下に人の影が見えてくる。

「あそこだ――降りるぞ、舌を噛むまないようにしろ!」

必死で背中にしがみついているだろう二人にそう言葉を掛け、セレスは狙いを定めて急降下を始めた。

魔力の奔流に頭がくらくらするが、それにはかまわず高度を下げ続けた。

大岩の傍に見える人影は、紛れも無くセレスが捜し求めていた少女だ。

早く彼女を助けなければいけない。兄の魔力はもうすぐそこまで近づいてきている。

ひときわ大きくばさりと翼をはためかせ、セレスは草原へと降り立った。

周りにいくつも焚かれるのは戦を彷彿とさせる魔法の篝火。

だがセレスの目はぐったりとする少女にしか向けられていない。

「リリスっ!!」

意識が無いらしいリリスを見て、セレスはあせる。

背中にしがみつく二人をおろすことさえ忘れて、近くまで走り寄った。

まさか間に合わなかったのか――そう思ったけれど、兄の姿が見えないことに気づいて少しだけ安堵する。

けれどそれは次の瞬間自分に向けられた言葉によってあっけなく打ちされた。

「久しいな、わが愚弟よ」

「……っ、兄貴!!」

くつくつと笑う声にはじかれるように顔を上げてみれば、藍色の目を細めて笑う、 自分と瓜二つの顔をした兄が空からゆっくりと降りてくるのが見えた。

セレスはそれをぐっとにらみつけ、短く言葉を発する。

だが緩やかな滑空の動作とともにカイヤがリリスの近くに降り立とうとするのを見て、考えるよりも早く体が動いた。

「リリスには指一本触れさせない――!」

「ほう、面白いことを言うな。お手並み拝見といこうか」

周りの草をざっと揺らしてリリスの前に立ちはだかったセレスから、少しはなれてカイヤも地面へと降り立つ。

余裕を持って笑う兄にさらに苛立ちを募らせながら、セレスは一歩踏み出した。

足を上げてから再び地に付けるまでの刹那に感じたのはかすかな違和感。

だがカイヤに気を取られるセレスは鳴らされた警鐘を無視し、さらに足を進める。

いち早くそれに気づいたシャンディの言葉さえ、今のセレスには届かない。

「待って! だめだ、それ以上……!」


『炎壁発動、堅固な檻となって彼の者たちを捕らえよ』


紡がれた言葉が耳に届くと同時に、視界いっぱいに広がったのは真っ赤な炎の壁だった。

勢いよく音を立てて燃え盛る炎はあたりを取り囲み、セレスたちをそこから動けなくさせる。

「――っ!!」

足元の草は決して燃やさない魔法の炎の壁なのに、セレスが少しでも触れればバチッと音を立ててそれを拒絶する。

透明な炎が視界を遮らないのは不運か幸いか。

魔法は同時に二つ展開されたらしく、セレスから少し離れたところでカイヤもまた同じく炎の壁に囚われていた。






  


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