六章 紅き饗宴は藍天の下で踊る 【6】
「くそっ、魔法障壁か! 煩わしい……!!」
「ああ、だからそれ以上行っちゃだめだって言ったのに。ぜんぜん聞かなかったからだよ」
ようやく降りることができる、とシャンディとネリエは身動きが取れなくなったセレスの背から降りた。
まるで鳥かごのように完全に閉じ込める形の檻は大きな翼を生やすセレスにとっては動きづらいことこの上ない。
悪態をつくセレスにシャンディはため息をつきながら答える。
そういわれてしまっては何も言うことができないセレスは言葉に詰まりながら、何とかここを出られないものかと考え始めた。
自分ひとりならありったけの魔力を総動員して檻を壊すこともできる。
幸いあたりにはリリスの魔力が充満しているから、魔力には困らない。
問題は傍にいる二人だった。
セレスが本気を出せば、いくら魔法使いだといえ傷を負うぐらいではすまないだろう。
そうなるとほかの手を考えなければいけないが、さっぱり思いつかない。
「お前たち、ここから出る策は何かあるか?」
「うーん……僕ら三人いっぺんに出るのは難しい。でも、この炎の壁なら……貴方一人出られるくらいの時間、
穴を開けておくぐらいは何とかいけるかもしれない」
「本当か?!」
しばらく触ったり眺めたりを繰り返しながら炎の壁を検分していたシャンディは、ゆっくりと言葉を選びながら答える。
だが願ってもみない答えにセレスは詰め寄らんばかりに食いついた。
「やってみなければわからないよ、打ち消し魔法はあまり得意ではないから。でもやってみる。時間は掛かるけど、
ネリエならできるよね?」
「シャンディができるって思ったならできるわよ。私の力はあなたが一番よく知っているもの」
話を振られたネリエは事も無げにそう答える。
その言葉はシャンディに絶対の信頼を置いているからこそいえるものだ。
魔法使いの絆とはこういうものなのかと少しだけ目を丸くしたセレスは、ネリエの方を向いて頼むと即答する。
「じゃあお願い、すぐに始めて。時間が無いんだ」
「わかったわ、いくわよ」
手の片方はシャンディの手と重ね、もう片方は壁へそっと触れる。
バチバチと指先がはじかれるのも気にせず、ネリエは二つ三つと何かの言葉をつぶやいた。
その言葉に反応するように、白い光が指先へ生まれる。
まるで生き物のようにうごめくそれは、炎の壁を削り取るようにゆっくりと動き出した。
息を詰めて見守っていたセレスは、その浸食作用が思っていたよりも早いことに感嘆を示した。
これならあまり時間をかけずに外へ出られそうだと安堵する。
だが状況はまったく楽観視できるようなものではなかった。
兄ならこんな障壁はあっという間に壊してしまえるだろう。
リリスの安否は、この障壁を作り出した魔法使いたちがどれほどカイヤと戦って持つのかにかかっているといっても過言ではないのだ。
兄が捕まる檻を見やれば、大きくたわんで軋んでいた。
程なくあれは壊れるはずだ。
「頼むから間に合ってくれ……」
藁にもすがる気持ちでセレスはそうつぶやく。
それをあざ笑うかのように次の瞬間鳴り響いたのは、カイヤを取り囲む障壁があっけなく壊された音だった。
体に走った衝撃は、周りにいた者たちの何倍も大きかった。
「……っ!!」
「セレナ!」
地面に倒れこむ前にセレナの体を抱き止めたのはルディだ。
そのルディもまた、魔法を破られた反動で青い顔をしていた。
『リリスを守りたいならさっさと妖魔を倒してしまえばいい話だ。そうすれば大事なお姫様は傷つかずにすむ、
そうだろう?』
少し前、ここに到着した二人が岩にえさとして拘束されるリリスを見て、これはどういうことだとランディに詰め寄ると、
返されたのはそんな言葉だった。
今思うと、言い返す言葉も見つからず、確かにそれもそうだと納得した自分たちの頭を殴ってやりたい気分だ。
半妖魔だというのに、今まで戦ってきたどの妖魔よりも圧倒的に強い。
その実力の差はあっけなく壊された魔法障壁を見れば一目瞭然だった。
「馬鹿な、これほど早く檻が壊されただと?!」
「鉄壁の檻といわれている紅の魔法使いの魔法障壁があんなにあっけなく壊されるなんて……!」
一方、二人の妖魔たちをあっけなく罠にはめて捕らえられたことで有頂天になっていたサポート役の魔法使いたちも、
すぐに壊されてしまった魔法障壁を見て真っ青になっていた。
だが膝をつき、立つのがやっとという様子の紅の魔法使いを見て、それが妖魔の実力なのだということを知る。
「化け物……っ!」
落陽の魔法使いの片方がそう叫んだ言葉に、檻を壊して出てきた妖魔は目を細めて笑う。
まるでそれは褒め言葉だとでも言わんばかりの笑みに、魔法使いたちはさらに恐怖を煽られた。
「さて……どれから遊んでやろうか」
ばさりと翼を振って魔法使いたちのほうを舐めるように眺める妖魔の目は、さながら獲物に品定めする獣のそれだ。
底知れぬ恐怖におびえた魔法使いたちは皆一歩後ろへと引き、恐怖に顔を歪める。
唯一動じずにその場へ立っていたのは、互いにに支えあいながら立つ紅の魔法使いの二人だった。
「まずはお前たちからか……そこにいる小娘と似て美味しそうな魔力の匂いをさせておるな。
食うほどには到底足りぬ魔力だが、我と遊ぶだけならば足りよう」
「簡単に手出しはさせない――白銀と黎明はリリスの周りにシールドを張って守れ。落陽はできるだけ妖魔の動きを止めろ。
私たちが隙をついて攻撃を仕掛ける……!」
「り、了解です……!」「はっ!」「承知しました!」
恐れを感じさせない凛とした声が紡ぐ指示は、三組の魔法使いたちに少しだけ希望を抱かせる。
先ほどの恐怖に満ちた表情はそれぞれ緊張に引き締まったものに変わり、指図された通りに動き始めた。
程なくきぃん、と澄み切った音が響いたかと思うと青い盾がリリスの前に浮かび、落陽は妖魔に向けて足止めの魔法を唱える。
「ふむ、それもまた一興。せいぜい足掻いて我を少しでも長く楽しませてもらおうか」
けれど妖魔はそれでも動じない。
足止めの魔法は難なく妖魔へかかり、黒い影が足をその場に縫いとめる。
それでも飄々とした余裕の笑みは消えることなく魔法使いたちに向けられ続けた。
「妖魔よ――覚悟!!」
ルディがそう叫び、目にも鮮やかな紅炎の球を二つ、それぞれの手に掲げ持つ。
セレナの魔力を総動員して作り上げた炎球の威力は先ほどの魔法障壁の比ではない。
投げられて手を離れた炎球はまっすぐ妖魔へと向かっていく。
その場を動けない妖魔にこれを交わす術は無い。
今度こそ、この妖魔を倒せるのだと誰もが思った。
けれど、それは一瞬にして絶望へと変わる。
「こんなもの、児戯にも等しきものよ。下らぬ」
嘲りの声音とともに魔法使いたちの元に届いたのは、風の渦巻く轟音。
何が起こったのかをろくに理解することなく、身を焼く熱い炎に声も無くその場へと倒れ伏す。
「そんな……まさか……っ!」
絶え絶えに呟いたのは、ルディに身を庇われて直撃を免れたセレナだった。
それでも体に力は入らず、首をもたげるのが精一杯な状況だ。
一瞬で焼け野原になったあたりを見回して、妖魔が先ほどの炎球を受け止めただけではなく
それを利用して自分たちに返したのだと理解する。
もはや自分たちになす術は無い――そう思わせるほど、力の差は明らかだった。
「ほう、女、あれを受けてもまだ意識を保てるか。さすがは、といったところだな。最も、戯れにすらならぬ遊びだったが」
感心したような、馬鹿にしたようなその声音に、自分以外はすでに誰も意識を保っていないことを知る。
ゆっくりとその場を離れてリリスのほうへ向かう妖魔の姿を視界の端にとどめながら、
セレナはかろうじてまだ形を保っているもうひとつの魔法障壁を見やる。
もしも、彼があの子を守ってくれるなら。
最後に残されたただ一つの可能性にかけてみようと思った。
魔力を送るのをやめると、魔法障壁の残滓はふっと消えうせる。
ぼやけていく視界にかろうじて映ったのは、目の前の妖魔によく似た姿だ――あれがリリスの愛した男、なのか。
「どうか……リリス……を、まも……て……!」
聞こえるかどうかもわからない声で、セレナはわずかに残った気力を振り絞ってそう叫ぶ。
そうしてそれを最後に意識はブラックアウトした。