六章  紅き饗宴は藍天の下で踊る 【7】




目の前で繰り広げられる戦いはあっという間に終わりが訪れた。

それは戦いというにはあまりにも一方的なもので、炎と爆風にあっけなく地に倒れ伏した魔法使いたちはもはやぴくりとも動かない。

一人だけかろうじて意識のあるらしい女が首をかすかにもたげていたが、それ以上何かする力はなさそうだ。

「おい、まだなのか?」

「もうちょっとよ! あと少しだから……!」

「くそっ、早くしないとリリスがあいつに……っ!」

焦るセレスの声に、ネリエも同じくらいに上ずった声で答える。

もうカイヤの前に立ちふさがるものは無くなってしまった。

このままではリリスがカイヤの手に落ちてしまう――そんな状況にあっても、セレスはなおここから動けないままだ。

けれどそんなことはお構いなしに、動かない魔法使いたちに興味をなくしたカイヤはゆっくりとリリスのほうへと足を運ぶ。

ただそれを見ているしかないもどかしさに目の前の魔法障壁をたたくが、拳が傷つくだけで目の前のそれはびくともしない。

だがバチバチといやな音ともに焼け付く痛みが走るのもかまわず、セレスは壁をたたき続けた。

その様子に気づいたのか、ふと歩みを止めたカイヤは首をめぐらせてセレスを見る。

そうしてどうすることもできないセレスに勝ち誇った笑みを浮かべ、くつくつと笑い声をたてた。

「愚か者の弟よ……そこで指をくわえて見ているがいい。この娘は我がもらっていく」

「やめろ、そいつに触るな……!!」

「一度は手に入れ損ねたが、ようやく手に入る。待ちわびたぞ、この瞬間を」

しゃらり、と首にはめられている金の輪にカイヤの指が掛かる。

ぐい、と軽々持ち上げられたリリスの体はぐったりとし、目は力なく閉じられたままだ。

セレスは何とかできないものかと振り返ったが、ネリエが苦心してあけている穴はまだセレスが通るには到底大きさが足りない。

「リリス、リリス、目を覚ませっ! このままだと連れて行かれてしまうぞ……っ!!」

「呼んでも無駄なこと。この魔力増幅装置がついている限り小娘の意識は戻らぬ」

「ふざけるなっ! カイヤ、そいつを少しでも傷つけてみろ、俺はお前を絶対に許さない。地の果てもで追いかけてでも殺してやる……!!」

ぎりぎりと噛み切ってしまいそうなぐらい唇をかみ締め、セレスは悔しさともどかしさに叫ぶ。

その姿を見て、圧倒的に有利な立場のカイヤは目を細めて笑った。

この少女を護ると、この手で必ず護ると誓ったのに。

初めて護りたいと、思った者なのに。

こんなにもあっけなく、俺の手から零れ落ちてしまうのか。

「お願いだから消えてくれ……っ!!」

壊せるはずもない魔法障壁をたたき、セレスは力の限り吼える。

もしも今ここを出られるのなら、何だってしてやる――そう思いながら何度も壁に体当たりした。

しゅうしゅうと嫌な臭いを立てて肌は傷ついていくが、そんなことはかまわない。

自分の命に代えてでもリリスを護りたい。

セレスの胸の中にあるのは、ただそれだけだった。

ゆっくりとリリスの喉元へとカイヤの手が伸びる。

まるで見せ付けるかのような動きは緩慢で、それゆえにセレスの怒りは増幅されていく。

いったい何度目の体当たりを繰り返したときだっただろうか。

響いたのは、パリンという薄氷が砕け散るが如くの音。

同時にセレスたちの周りを囲っていた魔法障壁が消えうせた。

それはあまりにも突然の出来事で、その場にいた誰もが予期しなかった出来事に思考を止める。

カイヤでさえ信じられないといった様子で少しの間動きを止めた。

そうして、その中で誰よりも一番早く動いたのはセレスだった。

瞬時に二人のそばまで移動したセレスはあらん限りの力をぶつけてリリスに覆いかぶさるカイヤを跳ね飛ばし、細く柔らかい肢体を引き寄せて腕の中へと抱きかかえる。

距離をとってからさらに追い討ちせんとぶつけた力は我に返ったカイヤに跳ね返されてしまったが、それでも十分だった。

「リリス……!!」

腕の中に戻ってきた温もりがまだ信じられなくて、二度三度と抱きしめる。

無理やり魔力放出を促された少女の顔は青白く、息も荒く浅いものだったが、それでも命の灯火は消えていない。

「腐っても我と血を分けた弟か。そこらに転がる人間どもよりは骨があると見える」

セレスの一撃をまともにくらい、口端から血を滲ませるカイヤはそれでもまだ笑っている。

だがそれとは反対に立ち上る闘気は殺気をはらみ、かすかに口元は怒りにゆがんでいた。

「おい、そこの二人。そこらへんに転がる魔法使いどもをどこかへ転送しろ。ここにいられたら邪魔だ」

「自分を狙った魔法使いだよ。それでも助けるの?」

少しはなれたところでうずくまっていた二人に声をかけると、シャンディからそんな言葉が返ってきた。

それにセレスは苦々しい表情を浮かべると、そっぽを向いて呟きとも取れる返事をする。

「そいつらの何人からかはリリスと同じ血の匂いがする。だから殺しはしない。――さっさとしろ」

「まったく人使いの荒い人……その代わり、時間稼ぎと私たちを守るのはちゃんとしてちょうだいね! さ、やるわよシャンディ」

「了解!」

二人はセレスの答えに頷くと、すぐに行動を起こした。

ネリエが転移魔法を発動させる言葉を紡ぐと、地面に倒れている八人の体が淡く光りだす。

徐々に強くなっていく光に包まれて少しずつ輪郭がぼやけるのとともに、転送が始まった。

「小賢しい小童どもよ。甘いなセレス、人間に情けをかけるほどに堕ちてしまったか」

「そこらにいる人間なら容赦はしないが、リリスの縁者なら話は別だ。殺せばこいつが悲しむ」

「なんとも情けないことよ。たった一人の小娘にそこまで骨抜きにされるとは。その緩みきった根性、我がたたき直してやろう」

今まで静かにそれを見ていたカイヤが鋭い光を目に宿らせ、腕を振り上げる。

それに合わせて渦を巻く風が地に倒れる人を巻き上げようと吹き荒れ始めた。

その様子にシャンディがセレスの名を呼ぶと、わかっているとばかりに翼を大きくはためかせ、力を相殺する。

だが攻撃はそれだけでは終わらない。

セレスよりも早い動きで空中に飛び上がったカイヤは光の矢を次々に放っていく。

無差別に降り注ぐ矢はそこにいるすべての者を貫かんと飛んでくるが、どれも目標物に届きはしなかった。

リリスを抱きかかえながらすべての矢を叩き落としたセレスはかすかに肩で息をしながら、笑みをたたえて空に浮かぶ兄を見上げる。

楽しそうに笑うカイヤがただ遊んでいるに過ぎないことはセレスにもわかっていた。

カイヤが本気を出せば、ここ一帯を消し炭にしてしまうことぐらいはたやすいことを知っているからだ。

「おい、転送はまだかかるのか!」

「転送50%終了! まだまだ頑張ってよっ!」

「――ちっ、人使いが荒いのはどっちだ……!」

遠慮の無いネリエの言葉に悪態をつきながら、セレスは次の攻撃に備えて身構える。

リリスを抱いているために片腕しか使えない状況は確実にセレスへ負担をかけていたが、二人が転送にかかりっきりでいる今、抱えて動くしか手は無い。

乱れた息をできるだけ整えながら動きやすいように翼を小さくたたむと、こんどはセレスへ向けて光の球がいくつも投げられ始めた――否、 狙われているのはセレスではなく、腕の中にいるリリスだ。

けれど先ほどよりはいくらか緩んでいる攻撃の手をいぶかしみながらそれに対処していると、いつの間にかカイヤはネリエとシャンディの真上へと移動していた。

「しまった……っ、さっきの攻撃は注意をそらすためか!」

にぃ、と口端を吊り上げて笑ったカイヤはひときわ大きな光球を二人めがけて放つ。

片手でいつ落としていたのでは間に合わない――そう思ったセレスが取った行動は、翼で二人を覆って光の球から守ることだった。

間一髪でそれは間に合ったが、バチバチという音ともに鈍い痛みが翼を走り抜ける。

痛みに顔をしかめながら上を見上げると、涼しげな顔をしてカイヤがセレスを見下ろしていた。

「――転送75%終了!」

「動きはいくらかすばやくなったが、こんな浅はかな手に引っかかるとは愚かな弟よ。守らねばならぬ者が増えると判断は鈍るぞ。 さぁて、あとどれぐらい痛めつければその愚かさを思い知るかな?」

「ここにいる誰も傷つけはさせない。愚かなのは兄貴、お前の方だ」

「――転送80%終了!」

「ふむ。もう少し手ひどく痛めつけねばなるまいか。まったく、我とて心が痛むぞ、弟よ」

「はっ! 心にも無いことを。冗談ならもう少しましなことを言え」

「冗談に取られるとは心外だ。いくぞ、これは防ぎきれるかな?」

「――転送85%終了っ!」

ばさりと大きく翼を揺らしたカイヤは風を起こし、渦巻く竜巻を出現させる。

それに向けてふうっと吐息を吹きかけると、瞬く間に竜巻は渦巻く炎へと姿を変えた。

翼に煽られて炎は瞬く間に大きく成長し、さながら蛇のようにとぐろを巻いてうねる。

何本にも枝分かれした複頭の炎の蛇は、カイヤの腕の動きにあわせてそれぞれに襲い掛かった。

「――はああああぁっ!!」

翼を、手を、足を総動員させ、出せる限りのスピードでセレスはそれを弾く。

接触した部分はちりちりと鋭い痛みが残り、どうにか全部を防ぎきったころには大きく肩で息をするほどに体力を削られていた。

「まだ、おわらないのか……っ?!」

「あと少しよ! 転送95%終了っ!!」

だんだんと苦戦を強いられるようになってきたセレスが声を上げると、ネリエがもう少し頑張ってと叫ぶ。

あと少しだとリリスを抱きなおし、最後の攻撃に備えた。

「なかなかしぶといな。では、これを受け止めてみるがいい」

カイヤの言葉にぐわりと牙をむいたのは、先ほどの炎蛇だ。

蛇はいつの間にか一つ頭の巨大なものに変わっていて、今度はまっすぐセレスめがけて襲い掛かってきた。

「――ぐぅ……あぁっ!」

それを片腕でどうにか受け止めたセレスはたまらず苦痛の声を漏らした。

だがこれに負けてしまうと後ろにいる者たちどころか、真っ先にリリスが傷を受ける。ここで負けてしまうわけにはいかなかった。

「96……97……98%終了!」

後ろのカウントダウンの声に少しだけ勇気付けられて、セレスは片腕にありったけの力を込める。

絶対に負けない――負けるわけにはいかない。

その思いだけが、セレスに力を与えていた。

「――転送100%終了! 完了よ!」

「もうもたん、お前たちはシールドを張れっ! 早くしろっ!!」

圧されて少しずつ後退し始めたセレスが焦った口調で叫ぶと、二人はあわてて自分とセレスの間に防御壁を作り出す。

それを見届けると、セレスは大きく翼を広げてあらん限りの力を解放した。

一瞬にして爆風があたりに吹き荒れる。


もうもうと舞い上がる砂埃がようやく収まったころに立っていたのは、ぼろぼろの翼をひきずり片腕から血を流すセレスだった。






  


inserted by FC2 system