六章  紅き饗宴は藍天の下で踊る 【9】




とっさにかばうようにして前に出した腕を放たれた炎にじりじりと焼かれ、苦痛のうめき声を漏らしたのはいったい何度目だっただろう。

遅れて降ってきたのは、くつくつと嘲笑う耳障りな声だ。

「先ほどの威勢はどうしたのだ? 防戦一方ではないか。これで誰も傷つけさせぬとはまったく笑止全般。おとなしく諦めてはいかがなものか」

「ぅ、く……、誰、が……っ、誰が、諦めるものか……!」

「あたりに満ち満ちている魔力を使わないのはあの首輪をつけられた女のためか?」

今度は頬を炎が掠めた。

じゅうっ、と肉の焼ける嫌な臭いとともに激痛が肌に走る。

それでも顔を歪めるだけにとどめたセレスはカイヤの問いかけには答えることなく翼で旋風を起こした。

鋭い刃となって次々に放たれた鎌鼬はセレスの周りに渦を巻く炎を切り裂き、勢いを失わせていく。

すると今度はカイヤの振り上げた両腕から光の矢が降り注ぎ始めた。

炎を切り刻んだ旋風達は次々と射抜かれ、風の刃が砕け散る。

その様子を見てセレスは舌打ちすると、ひときわ大きな風を起こす。

大きな竜巻となった風は多くの光の矢を叩き落したが、いくつかは広げられた翼を射抜き、いくつかは体をかすめて後ろへ落ちていった。

遅れてやってきた痛みと衝撃に歯を食いしばったセレスはあわてて後ろにいる者たちに当たっていないことを確かめ、安堵の息をつく。

大分と魔力の放出が抑えられてきているところをみると、リリスの首輪を外す作業は着実に進んでいるらしい。

「……っ!」

ひゅっ、と音がしたのを聞き、あわてて体をわずかにずらすと風の刃がセレスの髪の一部分を切り落として通り過ぎていく。

追い討ちのように風をぶつけるとゆるゆると形を崩してなくなったそれは、注意を後ろへそらしたセレスの気を引き戻すためにカイヤが放ったもののようだった。

「後ろを気にする暇があるとはなんとも余裕があるものよ。こちらから仕掛けるばかりでは我もつまらぬ。 さっさとそちらから仕掛けて来たらどうだ。攻撃を防ぐだけではあの女を護りはできぬぞ」

楽しんでいるようにも、早くリリスを取り戻したいようにも見えるカイヤは口端に笑みを浮かべて言い放つ。

わかってはいるのだ、攻撃から守るだけでは彼女を護る事ができないことを。

けれどその術を今セレスは持っていない。

カイヤのように空気中に満ちたリリスの魔力を使えば、彼女の魔力の放出をさらに促すことになってしまう。

セレスにはこれ以上彼女を苦しめることはできなかった。

さっきセレスが体を癒すために少しだけその魔力をもらったとき、彼女の顔が少しながらも苦痛に歪むのを見てしまった。

そしてカイヤがその魔力を利用すればするほど彼女の白い肌はさらに色を失い、脈は浅く速くなっていく。

早く―― 一刻も早く、首輪をはずしてやりたい。

そのためにセレスができることはただひとつ、後ろの三人をカイヤから護り続けることだけだった。

ようやくこの手に取り戻せた大切な宝物をもう二度と、失いたくない――その想いだけを胸に、セレスは血に汚れた顔を上げて不敵に微笑む。

「お前の相手なんか魔力を使わなくて十分だ。来い、正面から叩き潰してやる」

「小僧が生意気な。その口、二度ときけなくさせてやろう」

あからさまな挑発に乗せられたカイヤは魔力ではなく、今度は己の爪と翼を使って攻撃を仕掛けてきた。

どうやら魔力なしでも相手できると言い切られたのがよほど癪に障ったのだろう。

けれどそれは必ずしもセレスにとって有利な条件ではなかった。

先ほどの戦いでかなり体力を削られているセレスに対し、カイヤは無傷といっても過言ではない。

力の差は明らかといってよかった。

それでもセレスは倒れない。

ただひとつの想いのみが四肢に、翼に力を与えてくれる。

不利な状況にありながらも、奇跡的に戦局は五分五分と言って良かった。

そんな状況が一瞬にして一転したのは、ある声がセレスの耳に届いたときだった。

「……セ、レ……ス……?」

吐息といってもいいような、けれど絶対に聞き逃すはずのない声。

いったいどれほど待ち望んだかわからないその声に反応したのはセレスだけではなかった。

「終わりにしてやろう、セレス!」

勝ち誇ったように叫ぶ声とともに耳元を掠めたのは、とてつもなく大きな魔力で形成された鋭利な風の刃。

罠だとわかっていた――けれど考えるより先に、体が動いていた。

あがったのは、いったい何人分の悲鳴だっただろう。

遅れてやってきた焼け付くような痛みと息もつけない衝撃に体の自由が奪われる。

揺れてどんどん焦点が定まらなくなっていく視界の端で捕らえたのは、見慣れた少女の泣き顔だった。

涙をぬぐってやりたいのに、伸ばした手はすんでのところで届かない。

ああ、泣かないでくれ。

俺はお前に泣かれるとどうしていいのかわからないんだ。

薄れていく意識の中で頭をよぎったのは、ただ少女の涙をどうにかして止めてやらないと、ということだけだった。

蜂蜜色の瞳からこぼれる雫は伸ばされた手の上に落ちていく。

あと少しで、届くのに。

ほんのわずかの距離が、とてももどかしい。

そう思いながらもセレスは少しだけ口端を緩めて笑い、ゆっくりと吐息を吐き出す。


「もう、二度と目覚めないんじゃないかと思って怖かった。最後まで護ってやれなくてすまない。さよなら、だ――……」


それを最後に、セレスの意識は火が消え入るようにふつりと途絶えた。








  


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