六章  紅き饗宴は藍天の下で踊る 【11】




「ふん、やっと死んだか。だから愚かだというのだ」

不意に頭の上から降りてきた冷たい声は、聞き覚えのあるものだった。

その声にはじかれるようにして顔を上げると、ただ静かに藍の双眸がリリスとセレスを見下ろしていた。

このひとは──。

「……たの?」

「聞こえぬ。はっきりと言え」

「……あなたが、セレスを殺したの……?」

震える声でそう問うと、目の前の妖魔はいとも簡単に頷いた。

「我はそなたを喰いたかったがそやつが邪魔をするのでな、仕方なく殺したのだ。我とてたった一人の肉親を手に掛けるのは忍びなかったぞ」

「そ、んな……!!」

「なぜ、と言う顔をしているな、小娘。確かにおまえを奪うだけなら殺さずとも良い。だが妖魔と人間は相容れぬ。餌に情を抱く獣など、いてはならぬのだ」

誰にも反論を許さないとばかりに言い切ったカイヤは冷ややか二人を見下ろした。

そうして愚かな弟よ、と一別する視線を投げかけてから、リリスの方へ歩み寄る。

何をされるのかを悟ったリリスは悲鳴を飲み込んで身を堅くし、セレスを胸にかき抱いた。

意地でもここから離れてなどやるものか──そう思って、ひたすらセレスの体にしがみつく。

その意志を明確に感じ取ったのか、そばまできたカイヤはふと動きを止めた。

いつまでも触れない手を不思議に思い、リリスがおそるおそる見上げると、そこには怒りとも諦めとも自嘲ともとれる表情で立ちつくすカイヤがいた。

しばし視線が絡み合った後──ふい、と後ろを向き、一歩踏み出してからカイヤはおもむろに短く一言告げた。

「時間をやる」

「えっ……?」

「別れの時間をくれてやろう。破格の情けだ、おとなしく従え」

それだけを言い捨てると、カイヤは足早に去っていく。

とっさのことにうまく頭がついて行かなくて、あっと言う間に離れていってしまった後ろ姿をリリスはただ呆然と見ていた。

──確かさっき、別れの時間をやろう、と彼は言った。

破格の情けだ、とも。

先ほどの言葉を頭で整理して、カイヤの意図をようやく理解する。

どうして彼がそういう気になったのかはわからない。

けれど、せっかく時間をくれたのだ。

たとえ他意があったのだとしてもいい。

セレスを手に掛けたことは許せないし言いたいことはいろいろあったけれど、リリスは少しだけためらった後に離れて立つ人影に小さく感謝の意を呟いたのだった。







改めて向き直り、そっと触れたセレスの体はまだ温かくて、とても死んだようには思えなかった。

「──セレス……っ」

一度名前を呼んでしまうと、もうそれからはあとから溢れてくる嗚咽をこらえるのに必死だった。

言葉にならない感情の奔流がどっと押し寄せてきて、ただリリスはどんどん温かさを失っていく体を抱き寄せて泣いた。

あと少しリリスが目覚めるのが早かったら。

なんとしてでも首輪の力に抵抗して、意識を手放さなかったら。

ランディに身柄を拘束されることがなかったなら──。

もしもなんてあげていけばきりがないほどにたくさんあった。

いったいどこでどうすればこんな風に後悔せずにすんだのだろう。

親友二人に教えられてセレスが自分に大切なものをくれていたことを知ったから、リリスも同じものを彼に返そうと思った。

けれど結局最後まで何一つセレスに返してあげることはできないままで。

もうこの声が彼に届くことはない。

話したいことも伝えたいこともいっぱいあった。

今になっては、決してかなわぬ願いだということはわかっていたけれど。

それでも、ひとつだけ。

一生とけない、想いの形を残せたら。

泣き濡れた顔を少しだけ上げて、リリスはそっと震える声で言葉をつむぐ。



「……二つの種族の間に属し、天青《セレスティア》の瞳を持つ者、セレス・ティルヴィアへ告ぐ。

空《セレス》の名を冠す貴方のもとに、大地《エルディア》に咲き誇る百合《リリス》の名を持つ者、リリス・エルディア・サーシャが誓う。

私は、空の下にどこまでも広がる大地のように生涯決して貴方のそばを離れることはない。

貴方が死したのちも、雨と雲に分かたれた大地が空を想うように、ただ一人貴方だけを心にとどめ、想い続ける」



私はいつだってあなたのそばにいる──そんな想いを込めた言葉はゆっくりと積み上げられていく。

それは、古から伝わる契約の言葉。

不確かな愛の言葉をささやきあってお互いの気持ちを繋ぐより、もっと確かで離れがたい絆を結ぶもの。

全てを言い終わる前に、リリスの目からは再び大粒の涙が溢れ始めていた。

気を抜けば今度こそ詞を続けられなくなってしまうとわかっていたから、押し寄せてくる感情の波を必死で押しとどめたけれど──。

死者を相手にこの詞を紡いでも、契約は成立しない。

最後の言葉を言ってしまったら、今度こそ本当にセレスの死を受け入れなくてはならないのだ。

それが限りなく怖かった。

それでも、言わないわけにはいかなかった。

どうしても、自分を救うために命をかけてくれたセレスに精一杯の気持ちを伝えたかったから。



「これをもって契約の詞(ことば)とし、たとえ互いに死すとも私は永遠にこれを守り続けることを約束する……!」



震える声で最後まで言い切って、祈るように目を閉じる。

二度と目の前の人が目をあけることはないとわかっていても、もう一度だけ最後の希望にすがってみたかったのかもしれない。

絶対に叶うはずのない、たった一つの願いに。





そうして再び目をひらいたリリスは、ただそこで起こった光景に息を呑んだ。








  


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