七章 白蒼の光は乱宴の終わりを告げて 【1】
目の前に立ちはだかる影は、爆発的な妖力の放出にゆらゆらと揺れていた。
どんどん膨れ上がるゆがんだ妖力は、その場にいる者たちの肌をじりじりと肌を焼く。
『許さぬ、許さぬぞ、我を謀った裏切り者の人間よ――』
渦巻く力に混じって聞こえてくるのは、藍の瞳に怒りを宿した半妖魔の声。
背筋の凍るような戦慄を抱かせる感覚すべてが、強すぎる力だと告げてくる。
それでも寄り添いながら彼をまっすぐ見据えるセレスとリリスは怯むことなく、一歩を踏み出した。
「――リリス……」
不意に耳に届いたのは、聞きなれた友の声。
心配そうに、それでも引き止めることはためらうようにかけられた声に、リリスは二人の親友たちのほうへ振り返った。
彼らもまた疲労困憊しているはずなのに、必要としてくれるならば自分たちも共に、というように二人はこちらへ歩み寄る。
けれどリリスは静かに首を振って答えた。
「大丈夫、だってセレスと一緒だもの。きっと――ううん、絶対大丈夫よ。だから、そこで見ていてほしいの」
これは、自分たちの戦いだ。
これ以上、友を巻き込みたくはない――巻き込んではいけないのだ。
言外にそう告げたリリスの意思が伝わったのか、ネリエとシャンディはその言葉にゆっくりと足を止めた。
しばらく張り詰めた空気が漂ったのち、強張った表情を崩して頷いたのはシャンディだ。
それに続いてネリエも頷き、静かな微笑と共に言葉を返した。
「うん。わかったよ。僕たちが出来ることはここまでだね……なにもできないけれど、君たちの戦いをずっとここで見ていてあげる」
「あなたたちの戦いは、あなたたちの手で終わらせてくるといいわ。そしてかならず、帰ってきてちょうだい。私たちの元へ……」
「ええ、絶対戻ってくるわ」
帰ってくるのはリリスだけじゃないわよ――そう言いたげなネリエの視線にリリスの答えのあと、セレスも深く頷く。
そうしてリリスとセレスは戦友(とも)に見送られるようにして踵を返し、ほぼ完全な妖魔の姿に近づきつつある半妖魔と対峙すべく、共にゆっくりと足を踏み出した。
足元も草を踏みしめて前に進むたび、あたかも炎のような妖力が肌を突き刺す。
本能が、全身の感覚が、これ以上進んでは危険だと告げていた。
けれど不思議と恐怖は感じなかった。
つないだ手の指先から伝わるぬくもりがあるだけで、リリスは安心していられた。
そしてそれはセレスも同じなのだと、強めに握られた手を通して理解する。
間合いを空けてカイヤの前に立つと、彼はもう転身を終えて臨戦態勢になっていた。
裂けた口、ぎらぎらと輝く目、長く伸びた髪、硬い毛で覆われた獣のような手足。
以前はセレスと瓜二つだった目の前の半妖魔はもはやそれと似ても似つかぬ姿をしている。
かろうじて前の藍色のままである瞳の色だけが、目の前にいるのは紛れもなくカイヤだということを主張していた。
『妖魔の裏切り者と人間よ。我がこの手で葬ってくれよう』
低くしゃがれた声がねっとりと絡みつくようにリリスとセレスへ向けられる。
その言葉にリリスより一歩前に出たセレスが静かに口を開いた。
「妖魔が人と契りを結ぶことは決して裏切りじゃない。人と暮らす妖魔は少なからずいる。
それに人を否定すれば自分の中に流れる血まで否定することになるのがわからないのか」
『いいや! 我は認めぬ。人の魔力を食らう妖魔が人と馴れ合うなど裏切り以外の何だというのだ。自分に流れる血を否定するだと?
ふん、我が父を喰らい奪った妖力、我が母の亡骸を喰らい貰い受けた魔力、そして数々の人の魔力を喰って我は純血の妖魔と同様の力を得た。
もはや人間の血などないにも等しきことよ』
「やはり話しても通じないか。ならば俺のとるべき行動はひとつしかない。兄貴――いや、血を分けた青の妖魔よ、俺はお前を倒す……!」
殺気にも似た気迫がカイヤの重苦しい妖力に満ちた空気を切り裂く。
少し軽くなった周りの空気に一息ついたリリスは、左手を自らの胸の紋章に、右手をセレスの手の甲にかさねてセレスを見上げる。
その意図を理解したセレスは、目の前で自分と同じく決意を固めた少女に問いかけた。
「共に、戦ってくれるか」
「私はセレスの傍にいて、力になると決めたから。一緒に、戦わせて」
問いかけに何の迷いもなくリリスは答える。
その答えにセレスは大きく頷き、自分の甲に添えられた手にもう片方の手を重ねた。
そうして向かい合った二人は、同じ言葉を紡ぐ。
「「我は願う――魔法使い(ウィザード)の絆の力を解き放ち、共に戦うことを……!!」」
言葉に答えるように二人を包んだのは、セレスの瞳によく似た空色の光だ。
淡く光る薄青の光は彼らが手を離した後も、リリスとセレスをつなぐように間をたゆたっている。
だが二人が感じた変化はそれよりももっと大きなものだった。
――これが、契約を結ぶということなの。
――不思議な……感覚、だな。
お互いの心が半分重なっているような――はっきりとはわからないけれど、なんとなく相手の考えていることはわかる、という感覚。
けれど伝わってくるのは言葉ではなく、漠然としたイメージだ。
それでも二人には十分だった。
見ていなくても、触れていなくても、互いの存在がそこに在ると感じる、ただ、それだけで。
『小ざかしい真似で少しは力を増したか。ふむ、面白い。互いに、一度限りの全力勝負と使用ではないか』
少しはなれて二人を眺めていたカイヤは、そういってくつくつと笑う。
リリスは途端流れ込んできた負の感情に流されないように気をしっかり保ちながら、セレスの言葉を待った。
「ああ、いいだろう。一発で、けりをつけてやる……!!」
そうセレスが言い放った途端、流れてくる感情が変わる。
強い強い意志――力を秘めた、言葉の力。
絶対に負けないという、決意。
リリスを背に庇うようにセレスは前に出たが、リリスは首を振ってセレスの隣に立つ。
口にするまでもなくその理由はわかったのか、セレスはそのことについては何もいわなかった。
そうして代わりに口にしたのは、リリスへの願いだ。
強い意思を込めて紡がれた言葉は力となり、絆となり、セレスとリリスをつなぐ。
「力が欲しい。兄貴に勝つだけの――強い、力」
渦を巻く闇の妖力がどんどんカイヤの手の中に凝縮されていくさまを見ながら、リリスは頷いた。
そっと目を閉じると、セレスから伝わるイメージの奔流が感覚すべてを満たしていく。
海、空、大地、太陽、月。動く、壊す、無くす。
青い、藍い、蒼い。駆ける、唸る、暴れる、渦巻く、飲み込む、運び去る。
闇を、夜を、しがらみを、戒めを。切る、裂く、断つ、解き放つ。
暖かい、温かい、赤、柔らかい、ぬくもり。大きく、全て、広がって。進む、導く、輝く。
――自然すら動かす、大きな力よ。
蒼き風は闇を打ち砕く刃となり、すべてを包み込む暖かい光とならん。
流れ込むイメージに応えるように、自分の中からとてつもなく大きな力がわきあがってくる。
誰もが畏怖する、その魔力。
化け物呼ばわりされるほどに強大な力。
セレスと出会う前には、どうしてこんなものを持って生まれてしまったのかと何度も悩んだ力だった。
こんなものいらないと、いったい何度思ったことだろう。
その強大さが疎ましくて、そんな力を持っていることすら恐怖で。
けれど今はこの力に感謝すらしている。
力のおかげで、自分はたった一人のかけがえのない人に出会うことが出来たのだから。
ゆえに、リリスはその人のためだけにこの力を使う。
私の中に在る力よ。
どうかその強さでセレスの願いをかなえて。
この人を護って。
そんな願いを込めて、自分たちをつなぐ空色の光を通じてセレスに力を送る。
リリスの力とセレスの意志の力によって具現化された魔法が、セレスの手の中でゆっくりと作られていく。
カイヤとセレスの魔法が完成したのは同時だった。
互いに前を見据え、機をはかる。
沈黙は、一瞬。
振り上げられた両腕から、互いに向かって魔法が放たれる。
激しくぶつかり合った魔法が、その場を爆音と爆風で包み込んだ。