七章  白蒼の光は乱宴の終わりを告げて 【3】




「人間など……我にとって食らうべき対象でしかなかった。妖魔であることを捨てて人と共に歩むなど、考えたこともなかったな」

しばしの沈黙の後、ふと遠い目をしながらカイヤはぽつりとつぶやいた。

少し口端をゆがめてこぼされた言葉を、リリスとセレスは無言で受け止めるしかなかった。

いうべき言葉が見つからなかったからだ。

けれどそんな二人の様子にもかまわず、カイヤはセレスを見上げて言葉を継いだ。

「双子という濃い血のつながりをもちながら、方や妖魔、方や人間として暮らすとは可笑しきものよ。 妖魔の血と誇りをおろそかにはできぬ我には真似など出来はせぬが……母親似のおまえならできるやもしれぬな」

「……──!」

穏やかな瞳でいわれた言葉に、セレスが少しだけ息をのむ。

その言葉はセレスを肯定するも同然だった。

兄だけには言われないと思っていた言葉だったのだろう。

それにどういえばいいのかわからず混乱するセレスの様子に、少しばかりの笑みをこぼしたカイヤはそれからリリスへ視線を移した。

「リリス・サーシャ、といったな。本質は我らに近き、不思議な人の子よ……そなたに免じて、我はもう一度だけ、人を信じてみよう。」

気づけば、あれほど恐ろしく激情を秘めていた藍色の瞳は、いつのまにか夜明けの空のように明るい薄藍色になってこちらを見つめている。

ゆっくりとかみしめながら言われた言葉に、リリスは目を見張った。

人を信じる、その言葉の意味はつまり──。

「じゃあ……人を襲うのはやめてくれるのね?」

「できればそうだ、と答えてやりたいところだが……そうはいかぬな。それだけは約束できぬ」

「……どうして……!?」

眉を寄せて首を振るカイヤに向け、思わず口をついてでたのはその言葉だった。

明らかに不服を示す口調に、しまったと口に手を当てたがもう遅い。

けれどリリスの懸念とは裏腹にカイヤは気分を害した様子はなく、かわりにのどの奥でくふくふと笑った。

「思った通りの言葉を返すな、人の娘。ならば訊こうぞ。そなたは我らが人の魔力を食う理由を知っているか」

「理由……?」

「わからぬのだろう。では、知りもしないのに、なぜ人を殺すなと言う」

「だって……!! 精一杯生きてる人の命を奪うなんて……」

「ひどい、とでも?」

薄藍の瞳に見つめられて、思わず尻すぼみになってしまった言葉をカイヤがあっさりと口にする。

それにどうにか頷くと、今度は声高にカイヤは笑った。

「まっこと、人の子らしき答えを返すものよ。もはや不愉快を通り越して愉快にしかならぬな」

口端をつり上げて笑うカイヤはリリスをしっかり見つめてそう吐き捨てた。

縁取りの濃さを微かに増した薄藍の瞳には、少しばかり先ほどの激情が戻ってきたように思えて、無意識のうちにセレスの手をぎゅっと握ってしまう。

「一生懸命生きているのに殺すなんてひどい、だと? ふん、聞いて呆れる。我は──」

怒りを目に浮かべて言うカイヤの言葉は、しかし途中でとぎれた。

その言葉を遮ったのは微かに風に織り込まれた魔法が紡ぐ言葉だ。


──気をつけて。周りを囲まれてるわよ──


「……!!」

聞き慣れた友人の声に、リリスは息をのんだ。

同時にそれを聞いたセレスとカイヤも何かに何かに気づいたように表情を変える。

沈黙が訪れたその場で、周りの草がざわり、と揺れた。

「──まずいな」

「いつのまに……!?」

わずかながらに地を照らす月の光を頼りに、すっかりあたりを覆い尽くした闇に目を凝らしてみる。

すると、ざわざわと揺れる草の間からかすかにうごめく人の影が見えた。

草を隠れ蓑にして取り囲むのはかなり離れた陣に待機していたはずの兵士たちのようだ。

かすかに聞き取れる金属のぶつかる音がその数の多さを示している。

いくらカイヤに気を取られていたとはいえ、これだけの大人数に囲まれるまで気づかなかったのは迂闊だった。

「……気づいていたか」

「それで黙っているほど我は愚かではない。我とて先ほどよ。そなたらとそう変わらぬ。気を取られていたとはいえ、油断しすぎたようだな」

緊迫した面もちで言葉を交わすセレスとカイヤに、リリスも表情を堅くした。

ねらいは間違いなく半妖魔の二人だろう。

先ほどのぶつかり合いで互いに疲弊しているところを見計らって攻撃を仕掛ける。

戦いとしては定石だろうが、こちらからしてみれば卑怯としか言いようがないやり方だ。

「リリス。魔力はまだ残っているか」

「やっぱり……戦わなきゃいけないのね?」

「向こうから仕掛けてくる限り、身を守るには仕方ないことだ」

「……──わかった」

そうしなければやられると理解していても、つい言葉に出して確かめてしまう。

セレスもそれをわかっているのか、確かな言葉で答えてくれる。

その答えに一瞬迷ったリリスは、けれど自分の力で守るべき者をしっかり見定めて、力強く頷いた。

「魔力はまだ半分くらい残ってるわ。向こうは王宮付き魔法使い四組だから……身を守るくらいならどうにか足りる、のかしら……?」

「手負いだったが、おそらく回復しているだろう。やってみないとわからない。まずは向こうがどうくるか、だな」

こういう配分は経験を積まなければなかなか身に付かない。

いくら心がつながっているといえど、経験の浅いセレスとリリスにとって複数を相手に身を守るのは相当難しいということは、 言葉にするまでもなくお互いに感じ取っていた。

けれど、やるしかないのだ。

やらなければ、身を守らなければ、リリスはまたセレスから引き離される。

それどころかきっと、セレスも、そしてカイヤも殺されてしまう。

たとえ伯父や伯母、伯父の親友であるランディを攻撃し、傷を負わせることになっても、そうなることだけは絶対に嫌だ。

そう、リリスは思った。



「兄貴のほうは……」

「我は魔力をほとんど使い果たしている故、戦力にならぬよ。まぁ、いざとなったらお前達の盾にぐらいはなってやろうぞ」

やけっぱちなのか、緊迫した場を和ます冗談なのか。

セレスの問いかけにくつくつと笑いながら、カイヤは冗談ともつかない答えを返す。

その声は微かに震えを帯びているように思えた。

「セレス、魔法使い達がいるおおよその位置はわかる?」

「おそらく、風上──今俺たちが向いている方角だ」

場所をつかんでおかなければ、襲いかかってこられたときに対応できない。

そう思って確認すると、少しばかり不安そうな声が返ってきた。

どうやら、あまり正確な位置はセレスにもわからないらしい。

「一つ訂正するならば、あと二組だけ風下に潜んでおるな。片方は先ほど我を捕らえた魔法使いだろう。 もう片方は……はて、先ほど風を送ってきた魔法使いとみたが。何せ魔力で風が乱れておるせいか、よくわからんな」

「……!!」

何気なく付け足された言葉に、リリスとセレス双方ともはじかれたように振り返り、それから息を飲んだ。

先ほど風を送ってきた魔法使い──ネリエとシャンディが、王宮付き魔法使いと共にいる。

それは、ある一つの事実を二人に突きつけていた。

「まさか、そんな──」

「落ち着け、リリス。心を鎮めて、風下へ気を傾けてみろ。二人とも無事だし、王宮付き魔法使いと争ったりしてもいない」

大きく心を乱したリリスに、セレスはゆっくりと言い含め諭した。

落ち着いた優しい声にリリスがゆっくりと二人の気配を探してみると、確かに伝わってくるのは穏やかな魔力のみだ。

それがわかって安堵の息を吐いたリリスに、セレスは真剣な目を向けた。

「……ここからの戦いは厳しくなる。きっと攻撃されるだけでなく、心の乱し合いになる場面もあるだろう」

「こんなことで動揺してちゃだめよね。さっきは……ごめんなさい」

「なにがあっても心を乱すなとは言わない。でも、必ず俺が何とかする。だから、俺を信じて欲しい」

ともすれば傲慢にすら聞こえかねない言葉だ。

自分が頼りないからこそ、セレスがこう言ってくれたことはわかる。

でも、自分だって守られてばかり、誰かに頼ってばかりになるのは嫌だった。

人よりも桁外れに大きい力を持っていたからこそ出会えた人がいて、その力で守れる人がいる。

だから、その人のためならどんな恐怖だってはねのけてみせる──。

ぐっと顔を上げて、セレスの目を見つめる。

青い瞳に、自分の姿が映り込んだ。

「私とセレスなら、きっと何があってもなんとかできる。絶対大丈夫だって信じてるわ。だから、共に戦わせて」

一つ一つ想いを込めて紡がれた言葉に、セレスは大きく目を見開く。

そうして逡巡の後、彼はふと目元を緩めた。

「俺ばかりが一人で背負おうとしすぎたようだ。悪かった。リリスの言うとおりだな。……共に、戦おう」

その言葉と共に差し出された手に、リリスは迷いなく自らの手を重ねる。

そうしてひときわ大きくざわりと揺れた闇を見据え、セレスの紡ぎはじめた魔法に身をゆだねたのだった。






  


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