七章 白蒼の光は乱宴の終わりを告げて 【5】
「やあ、なかなかしぶとく生き残っているじゃないか。
私の手駒をすべて倒してしまえるとは腐っても妖魔、その血は侮れないということだね」
「──ランディ、さん」
どうにか彼の言葉に答えられたのは、リリスだけだった。
まるで挨拶でもするかのようにさらりと言ってのけたランディの言葉は、それでいて静かな憎しみと怒りに満ちていた。
それを向けられているのは半妖魔二人なのか、リリスを含む三人なのか。
表情はニコニコといつもの笑みを貼り付けていて、まったく本当の感情を読ませてはくれない。
「リリス、君も悪い子だね。私たちを裏切って、世話になった叔父や叔母も裏切って、そんなにその出来損ないの妖魔がいいのかい?」
「私は、セレナ叔母様やルディ叔父様のことを裏切ってなどいないわ。それにセレスのことを出来損ないなんて呼ばないで。
ただ二つの血が混ざっているだけでしょう。それ以外、私たちと何も変わらないんだから」
お願いだから、この人たちをそんな風に言わないでほしい。
だって、違う種の血が混ざり合っているだけで二つの種族どちらからも存在を否定されたら、いったいこの人たちはどこで、
どうやって、生きていけばいいの。
何をよりどころに、生きる意味を見出したらいいの。
そんな思いを胸に抱いて言い返した精一杯の反論は、土に塗れた虫けらを見下ろしているかのような目で一笑に付されただけだった。
「妖魔にも人間にもなれないなんて、哀れな出来損ない以外の何者でもないと私は思うけれどね。
それに、妖魔、もしくは妖魔に準ずる者と魔法使いの契約を結ぶこと──つまり、我ら人間と敵対する妖魔に与すること。
それは我らを裏切る行為に等しい。君もわかっているだろう?」
「──裏切っているつもりはないもの。それに妖魔の全てが私たち人間と敵対しているわけではないはずよ」
我ながら苦しい言い訳かもしれないと思った。
カイヤはもとより、きっとセレスだって人を殺して魔力を食らったことはあるだろう。
一度でも人を殺しているなら、それだけで人は彼らを“害を為す妖魔”として見る。
それで人と敵対していなんて、言えるわけがない。
「人と敵対している妖魔を目の前にして、何を言う。彼らは立派な我らの敵だ。それ以上でも、それ以下でもないよ。
それとも君は、彼らが人を一度も殺してことがないとでも言い張るのかい?」
「──そ、れは……」
「言えないだろう? 当たり前だ。彼らはたくさんの人を殺した。男も、女も、子供も。ただ、魔力を食らうためだけにね。
全く、ひどい話だ……その中には、私の姉もいたんだよ」
「……!!」
ただの一言も言い返すことができないまま、ランディの言葉は紡がれていく。
この人の言うことに惑わされてはいけない。
何があっても、セレスだけを信じていればいい。
──いや、彼やカイヤが行ってきたことが人にとっては正しくないことだとしても、私はこの人についていくと決めた以上、
それすらも一緒に背負う。
そう覚悟していたリリスだったが、最後の言葉にはっと息を呑み、思わず傍らの人を見上げてしまう。
その先にあったのは、入り乱れる感情を抑えきれずに揺れるセレスの瞳。
何よりも、繋いだ手から伝わるものが全てを物語っていた。
「……まさか、あんたの姉の名前は──」
深い沈黙に支配された草原の中で、驚愕と疑いの入り混じった声が響く。
けれど呟かれた言葉は最後を待たず、ランディの怒りに震える声でさえぎられた。
「クレスティリア=ローズ・ローティス。君たちがよく知る名前だろう……?」
隣と、後ろ。
息を呑む音はひとつだけではなかった。
確信に満ちた問いかけに、答える者はいない。
再び訪れた沈黙こそが、ランディの問いかけが真実であることを肯定していた。
「……知っている、とわざわざ言うことすらも気に触るかもしれないが。けれど間違いなく俺も兄貴もその名を知っている……いや、
知らないはずがない」
「知らない、なんていったらすぐに張り倒していたよ。まあ、知っているといわれてもそれはそれで腹が立つけど。
いくら君たちが薄情で冷徹な出来損ない妖魔でも、生みの親の名前ぐらいは知っているだろうから、ね」
──生みの、親。姉。まさか。
ただ二人の会話を傍観しているしかなくなったリリスは、ランディの言葉を頭の中で何回も繰り返す。
生みの親、そして姉。
その二つを結びつけると、導かれる答えはひとつしかない。
「ランディさんのお姉さんが、セレスとカイヤのお母さんってこと……?」
「そうだとも、リリス。私の姉はそこの二人の妖魔の父にさらわれ、挙句の果てに息子の手で殺されたんだ……!」
想像だにしなかった事実に思わずリリスが口に出してつぶやいた言葉に、ランディが震える声で応える。
今まで決して感情を悟らせなかった彼は、ここで初めて顔に感情をあらわにした。
冷え冷えとした視線がセレスとカイヤをねめつけ、怒りに唇はわなわなと震えている。
深い哀しみ、絶望、怒り、そして抑えきれないほどの憎しみ。
浮かべる表情は、いつもの笑みを貼り付けたランディとは似ても似つかないほどの変わりようだ。
その感情の発露の激しさに、思わずリリスの心は揺らぐ。
セレスは自分のお母さんを殺したの?
まさかそう聞くわけにもいかなくて、傍らで沈黙する人をそっと見る。
そのとき、ふと先ほどのセレスとカイヤの会話を思い出した。
たしか、カイヤは自分の父と母を殺した、といっていた気がする。
だったら、ランディさんのお姉さん──セレスとカイヤのお母さんを殺したのは、カイヤなんじゃないだろうか。
けれどそんなリリスの考えを否定するように、セレスは重々しく口を開いた。
「ああ……そうだ。俺と兄貴が、母さんを殺した」
「我らが手に掛けた事は確かに認めよう。だがそれこそ妖魔の掟──」
「私はそんなもの認めない! 無理矢理姉さんをさらって子を孕ませたのは妖魔の方だっ!!」
セレスの後を継いだカイヤの言葉を、ランディは半ば悲鳴のような声で打ち消した。
大切な者を奪われ、その上殺されてしまったた悲しさ。
リリスには到底想像できない感情だ。
それでも、その声を聞いて思わず胸が締め付けられたほど、ランディの言葉は悲痛と悲しみに満ちていた。
「あの妖魔は私のたった一人の肉親だった姉さんを騙し、無理矢理“魔法使い”の契約を結ばせた。それだけじゃない。
人の住まない異界へと連れ去り、餌みたいにあっさり殺して……答えろ、なぜお前たちは姉さんを殺した!!」
それは遺された者が持つ、必然的な疑問。
もっとも、どうしてか、なんて聞いても納得なんて出来はしないだろうけれども、聞かずにはいられない問いかけだ。
けれど、それに応えたのはただ風が草を揺らす音だけで。
ぎり、と食い破ってしまいそうなほど唇をかみしめているセレスからも、後ろで身じろぎ一つせずたたずむカイヤからも、
言葉は出てこなかった。
その様子に、怒りを募らせたランディが叫ぶ。
「そんなもの、言わずともわかっているだろう、とでも言いたいのか? 妖魔であるなら、
ためらわずとも簡単に答えられる理由だろう。さぁ言え! 魔力を食らうために殺したんだと!!」
「……ならばお前の望むとおりに言ってやろう。魔力を食らうために殺したのだ、とな」
「――っ、兄貴!!」
ランディを挑発するかのように紡がれた言葉に、セレスが弾かれたように振り返って叫ぶ。
けれどカイヤは落ち着き払ったまま弟を諫めた。
「口出しするな、愚弟。これは妖魔の掟に関わるもの。それを否定するは、我ら妖魔は当然のこと、
妖魔を愛し掟を受け入れた人間さえも愚弄することに繋がろうぞ!」
「っ、だが……!」
「そこな女、お前もよく聞いておけ。我ら妖魔に定められた最大の掟にして誇り、
そして受け入れなければ生きることは許されぬ運命の話をな」
ランディでさえ口を挟む余地を与えない、絶対的な威圧感と厳粛さに、セレスもリリスも口をつぐむ。
誰も口を開く者がいなくなったのを確認してから、カイヤは静かに話し出したのだった。