七章 白蒼の光は乱宴の終わりを告げて 【7】
ランディの言葉を皮切りに、息をつく暇もなく一方的な魔法攻撃が始まった。
流星のように次々と飛来する光魔法と、足元からゆらゆらと立ち昇る闇魔法。
それらから逃げようと身をひるがえせば、不規則に出現する炎の壁が行く手をさえぎる。
それに加え、三人の動きを狭めているのは、周りを取り囲む鎧に身を包んだ兵士たちだ。
少しでも彼らに近づけば、いっせいに槍が突き出される。
それらの攻撃の手は先ほどの攻撃などとは比べ物にならないほど激しく、圧倒的な力の差をリリスたちに見せ付けていた。
「駄目よ、数が多すぎる。ここはひとまず逃げないと──」
「無理だ! 全方位を囲まれている。とてもじゃないが逃げられない」
「でも……っ!」
「何処に逃げても同じことになろうぞ。光魔法に貫かれるか、闇魔法に捕らえられるか、灼熱の炎に焼かれるか、槍で刺されるか。
全くあの男、小賢しい真似をしてくれる」
セレスに反駁しようとした言葉は、カイヤの苦々しげに呟かれた言葉にさえぎられた。
なすすべも無い状況の下、リリスは必死で身を護る方法を考える。
先ほどの戦いで、魔力はほとんど使い切ってしまった。
もう、先ほどのように大掛かりな盾魔法を紡げるだけの力は残っていない。
かといって、このまま逃げ回っていても確実に殺されてしまう。
必死で魔法攻撃から逃げ回りながら、リリスは思考をめぐらせた。
──せめて、逃げる道をことごとく先回りして防ぐ炎の壁さえなくなれば、まだ逃げられるかもしれないのに。
炎壁がでてくる場所の正確さと緻密さに、あらためて伯父と伯母の強さを思い知らされた。
「ルディ伯父さま、セレナ伯母さま……」
地面を深くえぐるほどの威力を持つ光魔法を紙一重で避けながら、そっと二人の名を呟いた。
もう面と向かっては呼べないだろう名に、刺すような痛みが胸に走る。
周りを見渡したら、どこかに姿が見えるのではないだろうか。
そんな思いに駆られてふと足を止めかけて──その隙を、突かれた。
「きゃあ……っ!!」
急に足を引っ張られて、勢いよく前へつんのめった。
体を地面で強く打ってしまい、痛みに顔をしかめながらも足元を見ると、いつの間にか両足首とふくらはぎに闇魔法に絡みついていた。
どうすることもできないうちに、じわじわと這い上る闇の触手に下半身の動きを奪われ、あっという間に逃げられなくなってしまう。
セレスを呼ぼうにも掠れた声しかでなくて、助けを求めることすらできなかった。
その間にも光魔法はどんどんリリスの周りに落ちて土をえぐっていく。
いつ自分の上に光の矢が落ちてきてもおかしくない状況下、もう駄目かもしれないと覚悟して体の力を抜く。
セレスの声が耳に届いたのは、そんなときだった。
「リリス、どこにいる?!」
「私はこっちよ!」
出せる限りの大声で叫ぶと、すぐに空を切る翼の音が近づいてきた。
ああやっと助けにきてくれた──そう安堵した次の瞬間。
ひゅっ、と耳元で音がしたかと思うと、右肩に焼け付くような痛みが走った。
身を貫く激痛に呻いて地面に突っ伏すと、すかさず地中からさらにたくさんの影が躍り出る。
闇色の触手はあっという間に全身へ絡みつき、ぎりぎりと締め付けた。
息ができないほどに締め付けられて意識が薄れ始め、終わりだ、と目を閉じた、そのとき。
「リリスっ!!」
名前を呼ばれると同時に強い力で引っ張られ、締め付けられていた身体が自由になった。
だが、よかった、と安堵するまもなく、ふわりと体が浮いたかと思うと誰かに強く抱きしめられる。
何がなんだかわからないまま目を開けると、リリスはセレスの腕に抱きかかえられていた。
体に回される腕はすこし強すぎるくらいで、思わず息が詰まりそうになる。
心配そうに揺れる瞳にのぞき込まれて、無事を確かめるように何度も何度も名前を呼ばれた。
震える声でリリスの名を繰り返すセレスはひどく動揺していて、いくらリリスが大丈夫だと言っても、それが止むことはなかった。
「セレス、本当に私は大丈夫だから……」
そう言いながら怪我がある方の腕をどうにか上げ、不安そうに見下ろす人のほうへと手を伸ばす。
蒼白になっている頬にそっと手を添えると、ようやくセレスはリリスの名を呼ぶのを止めた。
「すまない、俺がついていながらお前に怪我をさせてしまった……」
「ちょっとかすっただけよ。だから大丈夫……っぅ!」
「こんなに出血しているのに、大丈夫な訳ないだろう。くそ、俺がついていながら……!!」
じわじわと肩の衣服を濡らす血を見て、セレスは悔しそうに歯をかみしめながら唸る。
怒りと、後悔。
その感情が痛いほどに伝わってきて、逆に油断していた自分を情けなく思った。
──こんなに、心配させてしまうなんて。
リリスを抱いたまま攻撃をかわし続けるセレスにしがみつきながら、今更ながらにひどく後悔した。
きっとセレスは、リリスが怪我をすれば自分のこと以上に悲しみ、憤るだろう。
現に、今もまだセレスは腕の中のリリスをかなり気にしているらしく、時々攻撃をかわす動きが鈍る。
そのため、完全には当たらないものの攻撃がセレスの体をかすめることは、明らかに先ほどよりも増えていた。
先ほどまで難なくかわすことができていた攻撃を、セレスがよけられない理由。
それがリリスであることは、状況を見ていればいやでもよくわかる。
このままではいつかセレスが酷い怪我を負ってしまうのは明白だった。
そうなるくらいなら、まだ自分が怪我をするほうがいい。
その思いを胸に、リリスはセレスを見上げて口を開いた。
「お願い、下ろして」
「だめだ。怪我をしているんだから、動かない方がいい」
「だって今のままじゃ私、セレスの足手まといになるだけだわ」
「大丈夫だ。俺はお前が無事でいてくれれば、それでいい」
「セレスがそれでよくても──」
私がよくないのよ。
そういいかけたリリスの言葉はそこでとぎれた。
不意に二人の目の前に炎の壁が次々と現れ、行く手を阻んだ所為だ。
リリスとの会話に気を取られていたセレスはうまく対応しきれず、その場でたたらを踏む。
それが、命取りになった。
「きゃあぁっ!!」
「……っ、ぐぅ……っ!」
目の前で閃光が爆発すると同時に、鈍い衝撃が走った。
遅れて低く呻く声が聞こえたかと思うと、がくん、とセレスの体が急降下する。
どうにか踏みとどまったのか地面に激突することはなかったが、降り立ったセレスは苦しげに息を吐き、
体を支えきれなくなったかのように両膝をついた。
──まともに攻撃を受けたんだわ……!
どうにか倒れる前にセレスを受け止めたリリスは、苦痛に顔をゆがめるセレスを見てそう悟る。
首を伸ばして確認するまでもなく、どんな傷を負ったかということはすぐに視認できた。
大きく広げられた両翼のうち、右片方の半分が大きく抉り取られ、傷口からはぼたぼたと鮮血がしたたっている。
怪我のひどさに思わず息を呑むと、セレスはなんでもないといわんばかりに首を振ったが、
かすかな振動だけでも傷が痛むらしく、再度うめいて肩を震わせた。
その様子に、リリスはどこか引っかかりを感じた。
確かに翼の怪我はかなりひどいものだが、体を揺らすだけでも耐え難いほど痛みに襲われるというのは少しばかりおかしい。
体のどこかにその振動が直接響いてしまうような大怪我がない限り、そこまで痛がりはしないはずだ。
そこまで考えたところで、まさかという思いに駆られながら、リリスは恐る恐る背中に手を回した。
「――っ、こんな……っ!!」
その感触に、頭が真っ白になった。
生温かい液体が、どんどんリリスの手をぬらしていく。
目に焼きつく鮮血の色、倒れ付すセレスの体。
つい先ほどと酷似する状況に、思考回路がうまく回らない。
今度は、リリスがセレスの名を連呼する番だった。
目を開かないセレスに何度も何度も呼びながら、リリスはこみ上げる涙を必死でこらえた。
また、この人に護られてしまったのだ。
いつも護られてばかりだったから、今度こそこの人を護りたいと、そう思っていたのに。
どうしていつもこの人は、こんなにも必死で我が身を省みずに私を護ってしまうんだろう。
とうとう涙をこらえきれなくなり、ぼろぼろと泣き出したリリスの耳元でささやかれた言葉は、やっぱりセレスらしい言葉だった。
「……大丈夫、だから……泣かな……で、くれ……」
すこし体を動かせば激痛が走るはずなのに、それでもセレスは手を伸ばして落ちる涙をぬぐおうとする。
その動作に、ますます涙が止まらなくなった。
「どうして、いつもそうなのよ……」
いつもリリスが最優先で、自分のことはほったらかしで。
リリスのためならどんな危険にだって飛び込んでいく、そんな人。
それほどに全身全霊を込めてリリスを愛してくれるセレスが、限りなくいとおしいと思った。
――だから、ここで挫けていては駄目。
セレスを死なせたくない。
その想いだけを胸にしっかり刻んで、リリスはあるひとつの考えをセレスに向かって口にしたのだった。