七章  白蒼の光は乱宴の終わりを告げて 【8】




「──セレス。私を食べて」

「なに、を……?!」

「その怪我、早く癒さないと手遅れになってしまうのよ! だから……っ」

もしも、先ほどのカイヤの言っていたあれが、こういうことなのだとしたら。

あれを行うことで、彼に魔力を与えることが出来るなら。

──私のとるべき行動は。

「あなたたち妖魔の血を持つ者は、魔力を持つ者の血肉を食えば、その者の魔力を手に入れることが出来るんでしょう?!  前に行った仮契約だって、口から相手の体液をもらうことで、魔力を受け取っていたのよね」

「……っ」

「私には、もうセレスに渡せる魔力はほとんど残っていないけれど、血肉に染み渡る魔力ならあなたにあげることが出来る。 だから、私を食べて欲しいの」

その言葉に、リリスを見つめる空色の瞳が大きく見開かれる。

それからすぐに眉間にはしわが寄り、口はぐっと引き結ばれて、いやだと示すように何度も首が振られた。

「お前を……喰らう、ことなど……出来る、ものか……!!」

「肉を喰らうのが嫌だったら、血を飲んでくれるだけでもいい。お願いだから……!」

「そんな……こと、を、するくらいなら……っ」

きっとその後には、死ぬほうがマシだ、というような言葉が続くはずだったのだろう。

だが、その言葉は紡がれること無く、途中で途切れた。

「私は……っ、セレスが死ぬのは嫌なのっ!! あなたが助かるのなら、どんなことだってするわ!  逆の立場なら、セレスだって同じことをしたはずよっ!!」

そう、逆の立場であれば、リリスもためらったかもしれない。

だが、もはや刻一刻を争う事態の中、セレスの説得を悠長にしている暇などないほどに、状況は切羽詰まっていた。

──セレスの気持ちはわからないこともないけど……こうなったら、実力行使しかないわ。

決して首を縦に振ろうとしないセレスに、リリスは唇をかみしめながら覚悟を決めた。

ためらったのは、ほんの一瞬だけ。

がりっ、と自らの唇を噛んで血を出し、そのままセレスを引き寄せて口付ける。

不意打ちと驚きに抗うことを忘れたらしいセレスはされるがままになっていたが、 しばらくしてから我に返ったように緩くリリスを押し戻そうと抵抗を始めた。

それでも、弱り切ったセレスの力とリリスの力では、もはやリリスの力が勝る。

怪我に障らないよう口移しで血を飲ませ続けると、土気色だったセレスの顔色が少しだけ明るくなった。

──もっと、もっと血をあげないと……!

唇からの血だけではすぐに限界がくる。

いったい、どうすれば。

思考を巡らせながら顔を上げたとき、ずきりと肩に痛みが走った。

あわてて肩を押さえると、服を赤く染めている血が少しばかり手を汚す。

そういえば、セレスの怪我の酷さに動転してすっかり忘れていたけれど、自分も魔法攻撃を受けていたんだった、と思い出した。

──そうだわ、ここから血を吸い出せば……!!

「リリス、やめろ……っ」

ぐ、と血塗れた唇をかみしめて肩に顔を寄せたリリスに、何をしようとしているのかを理解したセレスが声を上げる。

だがリリスはそれを無視して紅く染まる肩の部分の服を引き裂き、半ば噛み付くように傷口に口をつけた。

途端口の中へ広がった濃い鉄の味と、肩に走った激痛とに顔をしかめたが、構わず夢中で自らの血を吸いだす。

そのうち、焼け付くような痛みも、生臭い血の臭いもぜんぜん気にならなくなった。

ようやく半分ぐらい口の中に血がたまると、傷口から口を離して、セレスの方へと身をかがめる。

「……っ!!」

セレスはその行動に身をよじって抵抗を見せた。

今度は待つ時間があったためか、先ほどのようにすんなりとは受け入れてくれず、堅く口を引き結んでいる。

だがそれにも負けず、口に溜めた血が零れないようにリリスは深く深く口付けた。

──どうか、お願いだから拒まないで。手遅れになる前に、口を開けて。

その願いが通じたのか、またはもはや抵抗するだけの力がほとんど残っていなかったのか。

しばらくの間リリスを押し戻そうとしていたセレスは、やがてあきらめておとなしくその血を受け入れた。

一度だけでは足らず、二度三度と繰り返してセレスに血を与えていくと、少しずつその体に魔力が宿っていくのが分かる。

それにしたがって、セレスの傷口から滴る血は速度を落とし、ゆっくりと傷口がふさがっていく。

足元に広がる血溜まりは普通の人間ならとっくに失血死しているほどの量だったが、 そうならなかったのはひとえに半分だけセレスに流れる妖魔の血のおかげだった。

「リリス……もういい」

もう何度目になるか分からないほど、必死で血を吸いだそうとしていたリリスを優しくとめたのは、 そっと頭に載せられたセレスの手だった。

おそるおそるその声に促されて背中に手を伸ばすと、完治とはいかないまでも、流れる血はほとんど止まっている。

半分えぐられた翼も同様に、傷口はほぼ塞がっていた。

「もう、大丈夫だから……」

背中に回した手をはずすそうと身を引くと、逆に引き寄せられる。

まるで自分は大丈夫だと言わんばかりに抱きしめる力は強く、そうされて初めてセレスはもう大丈夫なのだ、という実感がわいた。

「よ……かったぁ……っ」

セレスを失ってしまう──その恐怖から解放されて安心したとたん、涙腺が決壊した。

ぼろぼろ零れてくる涙はいくら拭っても止まらない。

自分の力でセレスを護ることができた。

そのことが、限りなく嬉しかった。

「すまなかった……ありがとう」

耳元で囁かれた言葉が、さらにその嬉しさを助長していく。

今自分の置かれている状況がどれほど悪くて、助かる見込みなんて万に一の確率くらいしかなくても、まだ自分のそばにセレスがいる。

ただそれだけが、嬉しかった。

「ねぇ、セレス」

「何だ?」

「もし二人とも、生き延びることが出来たら……」

「ああ」

そんな明日がくるかはわからない。

二人で夜明けを見ることすら出来ないかもしれない。

それでも、もし、まだ私たち二人で生きることを許されるなら。

「もっともっと、セレスのこと知りたい。それで、私のことも知ってほしい」

「ああ、俺もだ」

「それでねっ、セレスと一緒に暮らしたいな。どこかのどかな場所に家を造って、二人で静かに暮らすの」

「きっと、楽しいだろうな」

「……うん」

目元を緩めてそう呟かれたセレスの言葉に、足元へ視線を落としていたリリスが顔を上げる。

見つめる先には同じように視線を上げたセレスの顔があった。

ふっ、と笑みが零れたのはどちらが先だったのか、わからない。

けれど、そんな未来はとても幸せすぎて、口に出してみてもぜんぜん実現しそうになんかなくて。

いつかそんな日が来たらいい、そう思えるだけで幸せだった。

魔法攻撃はセレスが致命傷に近い怪我を負ったのを境にして、ばったりと途絶えている。

不穏な空気を漂わせて沈黙する闇の先を見つめながら、二人は繋いだ手に力を込めた。


「「我は願う――。魔法使い(ウィザード)の絆の力を解き放ち、共に戦うことを……」」


言葉に呼応するように、ふわりと蛍火のような燐光が舞う。

紡ぐのは、魂と魂を繋ぐ詩。

戦うための魔力が残っていなくてもかまわない。

これは、二人の絆がどこまでも続くという証。

たとえ死が二人を分かつとも、絆は決して切れることはない――そう誓い合う、契約の詞なのだから。





  


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