人が溢れる雑踏。
その中に仲良く手をつないで歩く一組の男女がいた。
片方は茶髪で今風の格好をした男子高生、もう一人は日本人形のような長い黒髪に色白な女子高生。
誰もが普通の高校生カップルだと思うだろう。
取り立てて言えば、男の方がかなり整った顔立ちをしている所為で、道行く人々の目(主に女子の目だが)を引いているといったところ。

けれど、決してその人々が気づくことはない。
その二人の間柄はカップルなんて言う陳腐な言葉で括れるほど普通ではないということを。
少女の持つ闇──傍らの男がいないと町でさえまともに歩けすらしないということを。
そしてその逆もまた然り。

それは束縛にも似た、確かな救いなのだ。



二人をつなぐモノ、それこそが世界を構成するための全て




「青(せい)……大丈夫?」
「へーきだよ! 嵐(らん)がてをつないでくれてるもんっ」

歩調を合わせてくれながら隣を歩く男が心配そうにのぞき込む。
そうして遠慮がちにそう言うのは、幼なじみの瀬崎嵐(せさきらん)だ。
どこででも見かける、よくありがちな学ランを着ている童顔男の実年齢は二十歳。
金髪に近い茶髪と整った容姿の所為でチャラ男にみられがちだが、クオーターであるためにその容姿なだけにすぎない。
実際は至って温厚、というより気が弱く恐がりな青年だったりする。

「顔色が少し悪い……青、お願いだから、無理、しないで……」
「──どうしてすぐみやぶっちゃうのー。やっぱり嵐にかくしごとはできないね。でもダイジョーブだよっ、ちょっとアタマいたいだけだし……」
「だめ……しばらく……あのベンチで、休む、から……」

顔に似合わぬ怖い顔をした嵐に引っ張られ、結局は問答無用でベンチに連れて行かれることとなった。

──もう、しんぱいばっかり。だいじょうぶなのに。

そう思ったけれど、逆らうと余計に怒られるのでここは我慢だ。
原因は自分にある。
だから文句を言える立場じゃない。
それどころか、嵐がいなければこうして外を歩くことすら出来ないのだ。
半ば無理矢理連れて行かれたベンチに座ると、ほぅっと息をつく。
やはり体力を削られていたらしい。
一息つくと少し体の力が抜けた。

「はい……飲み物と、甘いもの……」
「ありがとー! わぁ、わたしのすきなやつだっ」
「当たり前……それが、俺の居る意味、だから」
「嵐、だいすきー!」

渡されたのはすぐそこの自販機で買ったらしいホットコーヒーと、鞄から取り出したらしいミルクチョコ。
すぐに食べたかったけれど、今はそれより嵐にくっついていたい気がする。
そう思って、あとでたべるから、と二つを傍らに置く。
それから隣に座る彼にそっと寄りかかった。

嵐は、この世で唯一心を許し、直に触れることの出来る存在。
そのことにどれだけ救われていることか。
彼無しに生きられない──生きていけない。
そして彼もまた。

「青。手が、どんどん、冷たくなってる……どうして、はやく、言わなかったの……!?」
「ごめん、しんぱいかけたくなかったの。でも嵐がてをつないでてくれるならダイジョーブだよ?」
「手を、つないでても……だめなの、は、知ってる……! お願い、だから……」

無理、しないで。

そう繰り返す嵐にぎゅっと抱きしめられる。
それからそのままの体勢で手や足や肩や背中、その他体の至る所をぺたぺたとさわった。
まるで触ることで目の前の存在を確かめているように。

「嵐……?」

彼には珍しい甘え方に戸惑う。
それでも嵐に触れてもらうことはうれしい。
だからそれを表すために、抱きついてくる嵐を抱きしめ返した。
自分たちは、そうすること以外に気持ちの伝え方を知らないから。
たったそれだけでしか、お互いの存在を確かめることができないから。

どれぐらいの間そうして抱きしめ合っていただろう。
ようやくゆるんだ抱擁の力からそうっと抜け出すと、嵐と目が合う。
そこで先ほど自分がもらった物の存在を思い出した。

「いけない、さめちゃう……」

完全にその温かさがなくなってしまう前にとホットコーヒーに手を伸ばした。
側面に手を触れるとまだ暖かくて、良かったと安堵の息をもらす。
そこで手元が狂った。

「あ……、っ!」

ホットコーヒーを少し持ち上げたところで、隣に置いてあったミルクチョコをはたき落としてしまう。
慌ててベンチから立ち上がり、転がっていくチョコを捕まえようと追いかけた。
あめ玉みたいに丸いチョコはあっという間に道行く人の雑踏の中へ進んでいく。
早く行かないと踏みつぶされてしまう。
人の足の間を縫い、やっと転がるのを止めたチョコに屈んで手を伸ばした。

手元に戻ってきたそれを大切につまむ。
それから、とったよー、と嵐のほうを振り返った。
いつもの彼なら、良かったね、と笑顔で返してくれたはずだった。

だが予想した反応は返ってこない。
なぜか顔を蒼白にした嵐ははじかれるように立ち上がってこちらへ手を伸ばす。
けれどそれは一瞬だけ遅く。
名前を呼ばれるとともに衝撃が走ったのは次の瞬間だった。

「青……避け、て……っっ!!」

必死な嵐の叫び声と、肩に当たるドン、という衝撃。
それ自体は軽い物だったのだろうが、そこから頭に突き上げる衝撃に耐えられなくて悲鳴を上げた。
頭に無理やりねじ込まれた──聞きたくないモノ。


『何やってんだ
くそ、邪魔だな
こんなとこに居てんじゃねェよ
さっさと退(ど)け
愚図な女──……』


思考に直接叩き込まれたその感情に名前など要らない。
あまりにも強い強い負の感情──形容はただそれだけでいい。
体がバラバラにされるようなほどの痛みを伴う、けれど訳の分からないそれに思考回路の一切を奪われる。
頭の中が沸騰する──焼き切れる。
ただ体を支配し続けるそれは強い頭痛とめまいを引き起こした。
手足の痺れと立っていられないほどの吐き気が襲い、がくりとひざをつく。

 もうなにもかんがえられない──……。
 らん、たすけて……。

「あ……ああぁぁ……ぅあ、やだ、やめてえぇ……ッ!」

頭の中を埋め尽くすそれを振り払うかのように頭を抱え、首を振って絶叫する。


 い た い 、
   あ つ い 、
     く る し い 、
       き も ち わ る い 。

    これいじょうあたまのなかにはいりこまないで。
          いや、やめて。
 たすけてたすけてたすけて。
        た す け て ─ ─ … …


体の感覚はすでにほとんどなく、かろうじてそれをつなぎ止めているのは皮肉にも全身を引き裂かんとする痛みの感覚。
早くそこから逃げたくて、この世でただ一人それが出来る人の名を譫言のように呼び続けた。
めちゃくちゃに叫んで泣いて。
その人だけを求めて、闇雲に手を伸ばす。

「ら、ん、らん、ら…ん……っ!」

もう周りの景色なんて見えない。
自分がどこにいるのかもわからない。
それでも必ず彼は来てくれるから。
自分が彼を求めれば、全力で助けに来てくれるから。
だから、助けてと嵐の名前を呼ぶ。

けれど、必ず来てくれると信じていてもそれは永遠にも感じる一瞬で。
耐えるにはあまりにも辛すぎる時間で。
あまりの痛みに目の前がチカチカとスパークを始める。
ああ、さすがにまにあわないかもしれない──そう覚悟したとき。

「……い、せい、青……っ」

すべてが混沌とした地獄から引き上げてくれたのは、待ち望んだ救いの声だった。
闇に差し込む、一筋の光にも似たそれは何よりも求めたもの。
自分を包み込む手の温もりを感じると同時に、感情を支配していた痛みが引き潮のようにゆっくりと引いていく。

「らん、やっときてくれた……」

立ち上がれないほどにひどい倦怠感に襲われながらも、この上ない安堵にそう呟いた。

やっぱりきてくれた。
きてくれるってしんじてた──。

ぎゅっとしがみついて彼を見上げる。
すると涙で滲んだ世界の中で、嵐は迷子の子供が長時間彷徨った挙句やっと見つけた母親みたいな顔をしていた。

「青、ごめん、ごめん、ごめんね……っ」

そう繰り返す彼もやっぱり泣きそうな顔をしている。
まだ思考がうまく回らない。
だからどうして嵐がそんな表情をするのか全然わからなかった。

どうしてなきそうなの?
なぜあやまるの?
嵐がたすけにきてくれただけでうれしいのに。
どうしてそんなにかなしそうなの?

そう問いかけるとさらに泣きそうになって。
ぎゅっ、と苦しいくらいにきつく抱きしめられた。

「俺 が、傍に、いたのに……また、青に、苦しい思い……させた……っ」
「そんなことないよう……嵐はわるくない、わるいのはわたし」

とん、とん、と背中を優しくたたいてなだめようとしたが、嵐はぶんぶん首を振って言葉を続けた。
同時に抱擁がさらにきつくなる。

「違う……俺、が、ちゃんと……見て、なかった、から……っ」

ごめん、お願い、だから。
俺、を、残して、どこか、に、行かないで。

途切れ途切れの震える声で呟く嵐。
それを聞いて、こちらからもきつく抱きしめ返す。

「どこにもいかないよ。嵐が、わたしのせかいのすべてだから」
「うそだ……っ、だって、こんな、にも……体が、冷たい、のに……っ」
「だいじょうぶ、嵐がきてくれたから。わたしはもうだいじょうぶ」

わたしはまだこのせかいにいる。
そういいたくて、嵐を強く強く抱きしめる。

「本当、に……? 本当に……っ?!」
「うん、いるよ。どこにもいかないよ。やくそくしたでしょ?」
「そうだ、約束、した……俺、が、青を……助ける、代わりに……」
「わたしは嵐のそばにいる。ぜったいにいなくならない」


「「約束、だよ」」


同時にそういうと、二人は少し離れて目を合わせ、笑った。
それこそが二人をつなぐただひとつのものだったから。


それはもういつしたのかも覚えていないぐらいに古い古い約束。
初めて、自分がこの世界に存在していると理解した日のことだった。

人に触るだけで感情を自分のもののように体験してしまう青。
触れる人に自分を拒絶させてしまう体質ゆえに孤独な嵐。
青にとってその拒絶は救いであり、
嵐にとって初めて自分を拒絶しない存在だった。

だから、離れられない存在となった。
お互いなしに、生きていけなくなった。

互いは互いを求め、そこに自分の存在を見出す。


――それは束縛にも似た、確かな救いなのだ。






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