第2話 始まり(2)

 タイミングよくコンコンとドアをノックする音が聞こえ、リリスはあわててドアに飛びついた。もしかして、と期待を膨らませてドアを開ける。

「やぁ、私の可愛い百合姫リリス、元気にしていたかい?」
「――ルディ叔父様!!」

 いつ聞いても優しい、リリスの大好きな声が耳に届く。歓声を上げて目の前に広げられる腕に何のためらいもなく飛び込む。叔父はリリスと同じ色の短い亜麻色の髪を揺らし、琥珀色の瞳を細めて笑った。変わらないぬくもりに抱きとめられ、リリスはそっと息をつく。それだけで、今までの暗い気分は嘘みたいにどこかへと吹き飛んでしまっていた。

「お帰りなさい、叔父様! 叔父様のほうこそ怪我はない?」
「おや、リリスは忘れてしまったのかな? 『くれないの魔法使い』と呼ばれる私とセレナ叔母さんの強さを」
「忘れるはずなんかないわ! ルディ叔父様とセレナ叔母様は私の誇りだもの」
「そうか、嬉しいよ。リリスも元気そうで何よりだね」

 いつもどおりの会話を交わし、それから二人はリリスの部屋でひとしきりルディの土産話で花を咲かせる。それはリリスが何よりも求めていたもの―― 家族にすら味方のいないリリスにとって、数少ない至福の時間だった。

「叔母様は元気? 私、叔母様にも会いたい」
「ああ、また会ってやってくれ。きっと驚くぞ。久しぶりに会ったリリスがこんなに美人になっているんだからな!」
「叔父様は昔から私のこと褒めすぎよ……」
「そんなことないさ。このやわらかい亜麻色の髪も、とびっきり上等の蜂蜜みたいな琥珀色の目も、とっても綺麗だよ。 私が二十歳若かったら、間違いなくプロポーズしてるね」
「叔父様ったら……セレナ叔母様に怒られても知らないわよ?」
「そ、それだけは勘弁してくれ……頼むから、な?」

 リリスは叔母の名を出されたとたん弱くなる叔父の言いように思わずくすくすと笑い声をあげる。ルディの妻でありパートナーであるセレナは、ルディに勝る豪胆な女性で、いつもルディは尻にしかれてばかりだ。彼女もルディ同様リリスを幼いときから可愛がってくれている人で、リリスは実の母親以上に懐いていた。

 リリスの和やかな表情に叔父も表情を和ませ、一緒に笑う。叔父の大きな手で髪の毛がぐしゃぐしゃになるほど頭を撫でられる。そうされるのがリリスはとても好きで、してもらえば必ず言いようのない安堵感に包まれた。自分にためらいもなく触れてくれる人は、もう叔父ぐらいしかいなくなっている。そうして久しぶりに思い出した『楽しい』という感覚に、リリスは時を忘れて叔父と話し続けた。叔父と離れている間に起こった出来事、最近読んだ本の話――あれだけ味気なかったはずの生活も、叔父に話すことを探してみればいくらでも話は出てきた。

 やがて夕闇が外を覆い始めて部屋が薄暗くなったころ、ようやく二人は話をやめた。リリスは急いでベッド脇のランプに明かりを灯し、部屋を明るくする。気づけばもう夜だった。

「おや、あっという間に夜になってしまったよ。私はそれじゃあそろそろ帰るとしよう。それにあまり遅くまで淑女の部屋にいては、君の父君に怒られてしまう」
「父様ではなくて叔母様にでしょ、ルディ叔父様?」
「はっはっは、これは一本とられた。降参だよ、私の可愛いリリス。次はセレナもつれて会いに来よう」
「絶対よ、叔父様」
「ああ、約束だ」

 リリスにそう約束を残し、叔父は去っていった。ため息をつきながらそっとドアを閉めると、その音はやけに大きく部屋へと響く。どこからか入ってくる隙間風に体を震わせ、窓のほうを振り返ると、昼間にあけたままになっていた。リリスは窓辺まで重い足取りで歩き、夜風に当たってすっかり冷たくなったガラス戸を閉める。

 表情はうって変わって、叔父が尋ねてくる前の憂い顔へと戻っていた。限りなく沈む気分に押しつぶされるかのように、ふらふらとリリスはベッドへ突っ伏す。昼間の日の光を浴びていたためかふかふかになった枕に顔をうずめ、リリスは今日何度目かになるため息をついた。

 叔父が自分を訪ねてきてくれたあとはいつもそうだった。すごした時間が楽しすぎるゆえに、後に襲ってくる虚無感や寂寥感も一段と大きく感じてしまう。叔父がいつもこの屋敷にいてくれたら、どれだけ自分は救われるだろう。考えても叶うはずのない願いを胸に抱きながら、リリスはそっと目を閉じる。その後少ししてから食事の用意ができたとメイドが呼びに来たころには、すっかりリリスは眠ってしまっていた。

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