闇に咲く華は紅く




「私、大きくなったら伯父様と伯母様みたいな魔法使いになるの!」

「そうか。それは楽しみだなぁ」

「うれしいわね。頑張ってちょうだいな、リリス」

そんな言葉を交わしたのはいったいいつのことだっただろう。

小さい頃から立派な「魔法使い」になるんだと言っていた。

それが、『伯父様と伯母様みたいな「魔法使い」になる』と具体的になったのはいつだったのか、正確な時は覚えていない。

たしか、きっかけはまだやっと五つになった頃だった気もする。

そう、それは平和なサーシャ家にちいさな事件が起こったときの話──。




闇に咲く紅華は美しく




事の発端はリリスが屋敷の裏の森に迷い込んだことに始まる。

あまり自分にかまってくれない父と母にきれいな花をあげようと思い、一人で森に入った。

両親の気に入る贈り物をあげれば、もう少し自分を見てくれるかもしれない。

特に、今は母の好きなラムリアの花が咲いている頃だから。

そんな幼心の浅はかな考えで、リリスは森に行くことを決めた。

森に一歩踏み入れば、そこを彩るのは様々な色。

修行ばかりでろくに家を出たことがなかったリリスはすぐに夢中になった。

春の森に咲く花の種類は多い。

目当てのラムリアの花以外にも見たこともない花がたくさん咲く中、あれもこれもと摘んでいるうちに リリスは導かれるように森の奥へ迷い込んでいくことになった。

ようやく顔を上げ、森の奥深くへと迷い込んでしまったと気づいたのは日暮れの光が差し込む頃。

知らない景色に惑いつつも、日のある方向を頼りに道を探す。

そうして何とか道を見つけて森を出ようと頑張ったのだが、日が暮れてもいっこうに周りの景色は変わらない。

疲れ果てたリリスは泣きべそをかきながら大木のそばへ座り込み、誰かが見つけてくれるのを待つことにした。

いつもなら、すぐに家の誰かが駆けつけてくれるはずだった。

だからリリスはおとなしく迎えを待ち続けた。

けれど、迎えはなかなか来ない。

月や星の光さえ射し込まない夜の森には、飢えた妖魔や獣がうろつくという。

やがてその話通り、周りをうろつき始めた獣の気配に、リリスはただ怯えることしかできなかった。

下手に動くと見つかる、そう感じたリリスは木のうろに隠れ、獣に見つからないよう息を潜めていた。

けれど獣の耳や鼻はそれしきのことでごまかせるものではない。

かすかに身じろぎした音を耳ざとく聞きつけた一匹の獣がうろの方へと近づくのを見て、リリスはもうだめだと思った。

だんだん近づいてくる獣の足音に、自分はここで獣に食われて死ぬんだと、そう覚悟したとき。

──闇一色に塗り込められた世界に、鮮やかな紅が閃めいた。

同時にあがったのは獣の悲鳴、遅れて立ちこめるのはムッとするような血の臭い。

何が起こったのかわからなくて呆然と見開いたリリスの瞳に映ったのは、まるで燃えさかる炎のような紅い魔力をまとう二つの影だった。

片方はどうやら男で、いくつもの紅炎の球を周りに浮かび上がらせている。

もう片方は女で相方の影に離れず寄り添い、絶えず紅炎のような魔力を送り続けていた。

「魔法使い……!!」

実際に戦っているところを見るのは初めてだった。

リリスは先ほどまでの恐怖を忘れ、食い入るようにその光景を見つめる。

闇の中、軌道の残像を残しながら閃き弾けるのはいくつもの紅い光球。

その様はまるで闇夜に咲く紅い花が花弁を散らすごとく美しかった。

それにあわせて闇の中を舞うかのように軽やかな身のこなしで、二人は次々に獣を倒していく。

子供のリリスにもわかる、凄絶な魔力を放つ二人はあっという間にリリスの周りをうろついていた獣を片づけてしまった。

ただただ圧倒されてしまったリリスは言葉もなくその二人を見つめることしか出来ない。

やがてうろから自分たちを食い入るように見つめるリリスに気づいた二人が自分の方へ体を向けた。

明るい光を放つ魔力で照らされた二人はどこか見覚えのある顔だった。

サーシャ家の誰かが迎えにきてくれたのだろうと安心したリリスはうろから出ておずおずと近づく。

「リリス……リリスか?!」

心配げに自分の名を呼ぶ男の声にリリスがこくりと頷くと、二人は急いで駆け寄ってきた。

ああもうこれで大丈夫──そう安心して思わず目の前の女に抱きつく。

だが温かく迎えられるものと思っていたリリスに向けられた言葉は、厳しい叱責だった。

「なぜ戻って来れなくなるほど奥へと入ったの?」

びっくりして顔を上げ、見上げた先には、厳しい表情を浮かべた女の顔があった。

母にすら向けられたことのないほど厳しい声音に、リリスはたじろぐ。

助けを求めるように男の方を振り返ってみても、やはりそこにあるのは同様の表情だけだ。

「あなたは次期当主。それをわかっていてなお、こんなことをしたの?」

さらに続く叱責に、うつむいたリリスは肩を震わせることしかできなかった。

女はそれを肯定と受け取ったらしく、さらに言葉を続ける。

「だったらなぜ、このようなことをしたの。道に迷って家に帰れなくなれば、一族の者は総出であなたを捜すことになる。 それは、いたずらに騒ぎを起こすことだと思わなかった?」

そう言われて、リリスは初めてその事実に気づいた。

いたずらに騒ぎを起こすだけ──両親を喜ばせようとしたはずなのに、その実自分はただ迷惑をかけることをしただけなのだと、 そう悟った。

それは、両親に迷惑をかけまい、恥をかかせまいとしてきたリリスには重くのしかかる事実だった。

「ごめん、なさい……」

思わず口をついて出た謝罪は泣き声のように裏返った掠れ声。

謝ったのは両親か、目の前の二人か、それとも──対象がいったい誰なのか、それはリリスすらもわからぬ言葉だったが、 どうやら困らせるためにやったのではないという意図は伝わったらしい。

女はそのあと少しばかり語調を柔らかくして言葉を続けた。

「何か理由があったのね?」

目にいっぱい涙をため、リリスはその言葉に頷いた。

理由──自分を正当化するには満たない自分勝手なものだが、確かに理由であるとは言えるもの。

「父様、と、母様に、花を摘もうと、思ったの……」

「兄さんと義姉さんに花を?」

兄さんと義姉さん──両親をそう呼ぶ女にリリスは驚く。

この一族で両親をそう呼ぶ人は二人── 一組の夫婦しかいなかったから。

「あなたは、セレナ伯母様……?」

「ええそうよ。私はセレナ・ズゥ・サーシャ。覚えてくれていたのね」

リリスの問いかけに少し驚いた様子を見せながら、叔母はゆっくり微笑む。

そうしてリリスの後ろに散らばる籠の中の花を見て、合点がいったように頷いた。

「あぁ、ラムリアの花を摘みに森へ入ったのね。義姉さんの好きな花だから……」

「ごめんなさい……父様と母様に、喜んでほしかったの。そうしたら、もうすこし一緒にいてくれると、思ったから……」

なんて馬鹿だったのだろう。

そんなことをしても、両親が喜んでくれる保証なんてないのに。

どうして、こんなことをしてしまったのだろう。

今さらながらに襲ってくる後悔に、リリスはただ泣きながら言葉を紡いだ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……父様、母様、私を嫌いに、ならないで……!」

自分を見てくれなくていい。

かまってくれなくていい。

これからはもっともっといい子になるから。

だから、私を嫌いにならないで。

そんな気持ちが込められた、この場にいない両親に向かってする謝罪の言葉に、伯母はなぜか泣きそうな顔でリリスを見つめている。

そして涙が止まらなくなったリリスは次の瞬間、柔らかな腕の中に抱き込まれた。

与えられたのは、暖かな言葉と温もり。

それは何よりリリスが求めていたものだった。

「大丈夫。誰もあなたを嫌いになんてならないわ」

「本当、に……?」

「ええ。もしそうなっても、私とルディだけはあなたの傍にいてあげる。だからもう大丈夫。安心して、いいのよ……」

ぎゅっと抱きしめられて伝わってくる温もりに、リリスは堰を切ったように泣き出した。

そんな風にいわれるのは初めてで。

与えられた言葉は限りない安心を与えてくれて。

そうして泣きじゃくるリリスが泣き疲れて眠るまで、伯母はずっとそのまま抱きしめていてくれたのだった。




それをきっかけに、伯父と伯母は頻繁にリリスの元を訪れるようになった。

父や母がくれなかった分の愛情を惜しみなくくれ、かわいがってくれるようになった二人にリリスはすぐ懐いた。

そうして、実の両親以上に自分を愛してくれた二人を見て育ったリリスは、やがて二人みたいな魔法使いになるのだと思うようになる。

それには、二人が任務に赴いたときの話を帰ってきては意気揚々と話すルディの影響もかなり含まれていたのだけれど──。

魔法を使う伯父と伯母はいつも強くて美しかった。

助けてもらったとき、思わず見惚れたほどの美しさと、それに見合う強さを持つ二人に強く憧れたのだ。

けれど何よりうらやましいと思ったのは、お互いに全幅の信頼を置いた上で戦う絆の深さだった。

お互いの間に信頼がなければ「魔法使い」にはなれない。

相手を信用し全てを預けられてから初めて魔法を生み出すことができるのだと、伯母はリリスによく言ったものだった。

いつか、こんな二人になりたい。

自分の全てを預けてもいいと思える人に出会いたい。

二人を見て、リリスはそう思うようになった。




それは、リリスですらもうほとんど覚えていない、遠い昔の話──。









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