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三章  天青と藍晶は闇夜に輝く 【7】



次の日は昨日よりも暗闇に支配された夜だった。
暗灰色のどんよりとした雲が空を覆い、星はおろか月さえもその光は届かない。 どこからか湿った風が吹いてきていて、このまま行くと雨になりそうだと先ほど酒場にいた男が嘆いていたのを思い出した。

パチパチと松明の燃える音を聞きながら、昨日と同じ道を歩く。
今日は、宿の主人は用があるから行けなくてごめんね、と言ってついてきていなかった。 と言っても昨日も門までしかついてきていなかったのだが、それでも一人でいるよりかは幾分心強かったのだ。 明かりがひとつもない真っ暗闇の道を一人で歩く心細さに気力が削られていくのを感じつつ、リリスは昨日と同じ場所にたどり着いた。

「――本当に今日も来るのかしら?」

そんな一抹の不安に駆られるけれど、今のあてはあの主人しか居ない。
彼が自分に与えてくれた情報が正しいのを祈りながら、リリスは男が現れるのを待った。
昨日と同じようにあたりの空気が変わったのは、それからずいぶんたってからだった。 冷たくなり張り詰める空気、ざわざわと不安げに枯れ草を大きく揺らしていく風。 ゆらりと大きく揺れて炎をかき消される松明――すべて昨日と同じだったが、リリスはそこに違和感を覚えた。
何かが違う。 昨日と同じなのに、どうしてこんなにも違和感があるのだろう。 そうしてそれに気付いたときには、すでにこの空気を変えた人物が湿原の端に現れていた。

「昨日より魔力がかなり大きい……」

あたりに満ちる魔力の大きさは昨日とは比べ物にならないほど大きい。 昨日より遥かに大きい魔力はリリスを圧倒する。 魔力の正体は同じものなのに開放する量を違えただけでこんなにも違うなど、思いもしなかった。
けれど違和感の正体はそれではない。
昨日のようにリリスを萎縮させる威圧感も、自分に近寄るなと言う拒絶も違う。 もうひとつ、それらの感情の中にあるものをリリスは見つけ、そうして愕然とする。 ――自分に向けられた途方もない魔力。
それは紛れもなく殺気を含んでいた。

「忠告を破った私を殺しに来たの……?」

震える声でたずねる言葉は、リリスから遠く離れている男には届かない。 ぬかるみだらけの湿原をまったく苦にせず、闇の中に光る二つの青い瞳は滑るように自分のほうへと向かってくるだけだ。
だが風に乗って流れてきた言葉に、リリスは目を見開いた。

「人間が持つにしては分不相応な魔力を持つ娘よ。その魔力、我がいただく」

ねっとりと肌をなでるような声。 生理的嫌悪と同時に恐怖心も抱かせるその声は、リリスの記憶にある声とは違っていた。

「あなた、あの人じゃないわね……? いったい誰なの?」
「はて、あの人、などというやつのことは知らん。そなたも魔力を持つものの端くれならよく知っているだろう? 我は今、魔法使いの中ではかなり有名人なのだがな」

くつくつと笑う男は身動きできずにいる間に近くまで来ていた。 そうしてリリスは近くで男を見て、更なる違いに気付く。 闇に光る瞳は空色ではなかった。
たとえるならばそう、藍晶石(カイヤナイト)と呼ばれる魔石のように透き通った薄い藍色。 その魔石を持つと闇の力に引きずり込まれる――そういって魔法使いたちの間では恐れられながらも、その力の大きさから 手に入れたいと望む者は絶えないといわれている魔石だった。

「薄い藍色の瞳……? 空色じゃない、でも青いことには変わりない……もしかして、あなたが“青の妖魔”なの?!」
「そのとおり。我は魔力を食らう妖魔。瞳が青いことからその名で呼ばれている」
「あの人じゃなかったんだ……」

正解とばかりに頷く男の答えに、リリスはなぜか安堵していた。 あの人が妖魔だと言うことはたぶん本当なのだろうが、それでも“青の妖魔”でなかったことは嬉しかった。

「さて、獲物とこんなに長い時間おしゃべりしたのは初めてだ。久しぶりに人と話せてなかなか楽しかったぞ、娘よ。 もうおしゃべりの時間は終わりだ。我は腹が空いているのでな」
「ちょっと待って……いや!」
「そなたに選択権はない。ああ、うまそうな魔力の匂いだ……」

一方的に会話を終わらされて、そういえば男は自分の魔力を食いに来たと言っていたことを思い出す。 けれど逃げるにはあまりに男が近くに来すぎていた。
殺されると思ったリリスは身を翻して逃げ出そうとしたが、あっという間に行く手を阻まれる。 片方の手で手早くリリスの手首を掴んだ男は、目を細めながら喉へもう片方の手を滑らせた。 つつっ、と愛でるかのように尖った爪でうなじや首筋をなぞられ、ざわりと鳥肌が立つ。

「いや……やめて……!」

狂気を孕んだ男の目がこちらを見る。
まるでリリスの抵抗すらも楽しむかのような男に、本気で殺されると恐怖した。 口端を空けてうれしそうに笑う男の口腔から鋭利な犬歯がのぞく。
生暖かい息が喉元へとかかり、もうだめだ――リリスがそう覚悟して目をつぶったとき。




――まるで地を引き裂くような轟音と閃光とともに、リリスの体へ衝撃が走った。






  


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