四章  四つの想いは夜空に交わる 【5】




次の日。

日が昇り始め、そろそろ人々が起き出すぐらいの時間になったころ、とっくに起きていたリリスは部屋の中に置かれた粗末な鏡を見つめ、 よし!と満足そうにつぶやいた。

準備は万端。朝早く起きて身なりも整えたし、赤く腫れてしまっていた目は宿の側にあった井戸から水を汲んで冷やしたおかげで今はすっかり元通りになっている。

治安が悪いからあまり部屋の外へ出ないようにとセレスに言われていたけれど、何もなかったので内緒にしておこう。

いたずらっ子のようにちょっと舌を突き出し、内緒内緒、と呟いたリリスはもう一度鏡に向き直って自分の顔を見つめた。

もう泣きそうな顔はしていない。

昨日あれだけ泣いたのだから、もう大丈夫だ。

自分がしっかり笑顔でいられているのを確認して、リリスは勢いよくイスから立ち上がった。

もうすぐセレスが朝食を持ってきてくれるだろう。

ドアがノックされたら、ちゃんと元気よく返事をしないと。

そんなことを考えているうちに、控えめな音でドアがノックされた。

まだリリスが寝ているかもしれないと思って小さめの音で叩いてくれたのだろう。

ホントどこまでも優しい人だなぁ……いや、人じゃないんだっけ、などといらぬことを考えながら、リリスは元気よく返事を返した。

「おはよう、セレス! どうぞ入ってきて」

「おはよう。よく眠れたか?」

「え……ええ、ちゃんと眠れたわ。大丈夫よ。体力も回復したし、ね?」

セレスの問いに内心どきりとしながら、リリスは精一杯の笑顔を作って答えた。

ここの宿屋の壁は薄そうだったしまさか泣いている声が漏れたんじゃないかしら、とか、妖魔って人より感覚が優れているから昨日隣で聞いていたりして、 などと思考をめぐらせながら、セレスの顔色を伺う。

けれど彼は一言、そうか、と返事しただけでそれ以上追及しようとはしなかった。

その返事に安堵の息をつきながら、リリスは部屋の隅に申し訳程度に置かれているテーブル代わりの木箱を引っ張り出し、真ん中へと持ってくる。

するとセレスは手に持っていた引き割りとうもろこしのパンと水をそこへ置き、その場へ腰を下ろした。

それに習ってリリスも座り、二人は向き合う形で朝食が始められた。

昨日の晩とは違う何か気まずい空気が二人を包む。

どちらとも、顔を合わせずに下を向いてただ黙々と食べるだけだった。

安い引き割りとうもろこしの粉で作られたパンはかなりパサパサで、咀嚼(そしゃく)するたびにのどへと絡みつく。

食べ物が不足しているダウンタウンで、セレスが苦労して手に入れてきてくれたのは分かっていたから文句は言えないものの、はっきりいって不味い。

昨日も同じものを食べていたが、こんなにも不味く感じられなかったのは和やかに会話が進んでいた所為なのだろうか、と思った。

けれど、何か話をしたいと思っても、一体何を話せば良いのかさっぱり分からない。

「あのね、セレス」

「ちょっといいか」

そのうち沈黙に耐えねてリリスが口を開けば、その声はセレスのものと同時に重なった。

あっ、と思って顔を上げると、セレスも顔を上げている。

また俯いてしまうわけにもいかずリリスがセレスを見つめると、二人の視線が絡んだ。

「セレス、あなたからどうぞ」

「いい、お前から先に話せ」

「いいの? ええっと、その……」

話を譲ろうとするとセレスに譲り返され、リリスは困った。

とりあえず何か話そうと口を開いただけで、話の内容までは決めていなかったのだ。

どうしよう、何を話せばいいんだろう、と口ごもりながら必死で考えをめぐらせる。

そんな中、とっさに出たのは突拍子もない台詞だった。

「あなたのお兄さん、名前はなんていうの?」

「は?」

「あの、その、いえ……ちょっと気になっただけなんだけれど……」

言ってから、セレスの顔色が変わったのを見てしまったと思った。

青の妖魔が気になっていたのは本当だが、とっさに出てしまった言葉とはいえこれはあまりにもまずい。

そういえば、彼にとってその話は禁句だっだ。

「いいえ、なんでもないわ。ちょっと聞いてみただけなの。ごめんなさい、嫌な事を思い出させてしまって。もうこの話は終わりにしましょう」

「……カイヤ、だ」

「え……?」

必死にその場を取り繕って話を終わらせようと躍起になって言葉を継いでいる最中に言われた言葉だったから、咄嗟に聞き取ることができなかった。

それでも何とか言葉を頭の中で繰り返してみて、ようやくそれが先ほどの答えだったのだと認識できたのは少したってからのことだった。

「天青石と藍晶石という石は知っているか」

「天青石(セレスタイン)と藍晶石(カイヤナイト)って、魔石の? ……――あっ!」

「そうだ。俺たちの名前はそこから付けられた。瞳の色だけが違う、双子――石を構成している元素が同じなのに、持つ能力と色が違う石のようだといわれてな」

「清き聖上たる力持ちし天青石(セレスタイン)……悪しき暗黒の力持ちし藍晶石(カイヤナイト)……」

その二つの石の名前を聞いて思わず口ずさんでしまったのは、魔法使いたちの間に伝わる魔石の伝承だった。

天青石は晴れた日の青空の色、藍晶石は暗闇に包まれた夜空の色。

それはリリスがセレスやカイヤに会ったときに感じた感想と同じものだ。

「俺たちの母は魔法使いだった――いや、両親が、というべきか。魔法使いは二人でひとつだからな。だから、母親がそう名づけたんだ」

「そうだったの……」

だからこの名前なのか、と納得した。

母親が魔法使いに関わる者なら、その伝承を知っているのにも頷ける。

まさかあの質問からこんな話が聞けると思いもしなかった、と内心嬉しく思いながらも、リリスはそうっとセレスの顔色を伺った。

顔色を変えずに話をしているものの、声を聞く限り機嫌が良いとはいえないのだ。

「さあ、これでいいだろう。この話はここまでだ。俺は食べ終わったからそろそろ自分の部屋へ戻る。 昼になる前に宿へ送り届けてやるから、それまでに準備をしておくといい」

「わかったわ……あの、ありがとう」

「かまわん。じゃあな」

どこか冷たく感じられる声でセレスはそう告げ、さっさと立ち上がって部屋を出て行った。

その後姿を見送りながら、やっぱりこんな話しなければよかった、とリリスも重い腰を上げる。

そうして先ほどセレスが言いかけた言葉のほうを聞いていなかったと気付いたものの、もう部屋に彼の姿はない。

「あぁ、また失敗しちゃったかしら……」

早くも泣いてしまいそうな予感に駆られながら、リリスはそれを振り切るように身支度を始めたのだった。








  


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