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二章  出会いと別れは突然に 【6】



日が高くなって少ししたころ。
しばらく冷たい水で冷やしたリリスの目の赤みはすっかりひいていた。
暖炉の火はとっくに消えていたが、もう一度火を起こすほどに寒くもない。 わざわざたいそうな朝食を作るわけでもないので、燃え尽きた薪の灰が多く残る暖炉はそのままにし、二人は軽い朝食をとった。
お互い持参していた保存食を黙々と食べる。 リリスが食べている味気ない干し肉は沈黙のおかげでさらに味気くなっていた。 けれど話す話題も見つからないまま、手早く食事を終わらせるためにもくもくと口へ運ぶ。 男はさらに食べる速度が速く、リリスが半分食べたころにはもう食べ終わっていた。
ようやくリリスが食べ終わって身の回りを片付け始めると、男は自分の荷物を手に取り、ぽつりと告げた。

「では俺はそろそろ行く」
「もう少し、ゆっくりしていけばいいのに……」
「そういうわけにもいかない。今日中に山を越えなければならないから少し急ぐ」

思わず引きとめてしまったリリスに、男は少し困った顔をしながらすまなそうに言った。 そこで、そういえば自分のせいで男は急がなければならなくなったのだと気付く。

「ごめんなさい、私を助けたばっかりに余計な時間を……」
「気にしなくていい。もともとこの小屋で一晩を過ごそうと思っていたからな。一人よりは賑やかでよかった」
少しいたずらっぽい表情でそういわれ、リリスは苦笑いをする。 けれどさっきよりは余裕もあったから、お役に立てたなら、と軽口でやり返す。
そうして二人で笑ったあと男がそれじゃあ、と短く別れを告げた。

「短い間だったがなかなか楽しかった。もう山賊には捕まるなよ。じゃあな」
「気をつけるわ、あなたも元気でね」
「ああ」

最後に交わした会話は当たり障りのない短いものだった。 小屋から出て行く男をそっと見送りながら、リリスは寂しいと感じる感情をできるだけ心の中へと押し込める。
もっと話したかった、なんて思ってはいけない。 もっと一緒にいたかった、なんて望んではいけない。 それはわがままでしかないから。
あの人はただ、山賊に襲われていた旅人を助けただけ。 そしてその旅人が、たまたま私だっただけ。 たった、それだけのことなのだ。
リリスにはなぜだかはわからないけれど、それがとても悲しかった。
あの人の優しさは、きっと誰に対しても与えられる優しさなのだ。 昨日リリスを撫でてくれた手も、与えてくれた数々の言葉も。
そうして昨日の出来事を思い出していると、自分が言い忘れた言葉に気付く。

「私、あの人に助けてもらったお礼、言ってない……。それに、名前も知らない」

一晩も一緒にいたのに。 お礼を言う機会も名前を聞く機会もあったはずなのに、リリスはできなかった。 それはきっと、より深く彼に関わってしまうことだから、無意識に避けてしまっていたのかもしれない。
お礼を言えば、きっと彼は優しい声音でリリスの欲しい言葉をくれるだろう。 名前を問えば、もっと他のことも聞きたくなってしまうだろう。
だから、言えなかった。 すぐに別れてしまう人と深く関わってしまえば、きっと分かれたときにつらいだろうから。
けれど、やっぱり自分は寂しいと思ってしまった。 二人でいたときは感じなかったのに、今は一人でいると山小屋が妙に広く感じる。
どうしてこんなの自分は弱いのだろう。 家を出たときに、もう人には頼らない、信じないと決めた。 ずっと一人でいよう、そう決めた。 自分には、「魔法使い」になるための相手になってくれる人など絶対に現れないのだから、一生サーシャ家には戻れない。
だから、一人で強く生きていこう、そう思った。
なのに、優しい人が現れたら縋りたくなってしまったなんて、もっと相手のことを知りたいと思ってしまったなんて ――そんなことはだめだとわかっているのに、どうして。

「しっかりしなきゃ!」

限りなく沈みかけた気分を振り払うようにぶんぶんと首を振って自分の頬をたたく。 ぐっと前を見据えるて気合を入れてからふと外を見ると、もう日は真上に近かった。
リリスは今まで考えていたことを振り払うように勢いよくイスを立ち上がり、部屋の隅にあった自分の荷物に手をかける。 今日は昨日よりも温かそうだから、マントはなしで行こう。 そうしてリリスも山小屋に別れを告げ、山の中を歩き出した。

「うん、今日もいい天気!」

今は空元気でもいい。 目的地の魔法都市ヘパティカにはきっと何も考えずにさっさと半日山を歩いたらつけるはず。
だから、そこへついたらさっさと宿屋でご飯を食べて寝てしまおう。
そうしたらきっと、寂しい気持ちもあの人のことも忘れられるはずだから。






  


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